カメルーン=インシャン領土戦争

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

カメルーン=インシャン領土戦争とは、マイクラ戦闘地帯 EBB戦線においてカメルーン・アフリカ軍政社会主義国家ウェストインシャン人民共和国連邦との間で勃発した領土戦争である。

経緯[編集]

南アフリカに建国されていた2つの社会主義国家であるカメルーン・アフリカ軍政社会主義国家ウェストインシャン人民共和国連邦の間で起こった戦争で、経緯はウェストインシャン人民共和国連邦カメルーン・アフリカ軍政社会主義国家に一部領土の割譲を要求したことから始まる。こうして第1次カメルーン=インシャン領土戦争が勃発した。

第1次カメルーン=インシャン領土戦争[編集]

第1次カメルーン=インシャン領土戦争はそこまで凄惨というわけでもなかったがそれでも多数の死者が出たことには変わらなかった。しかし、その後にウェストインシャン人民共和国連邦の書記長が変わると戦争をやめる訴えが出てきて、停戦条約を締結し、正式な停戦となった。この戦争では白紙講和という形で終わり、領土等の変化は特になかった。

第2次カメルーン=インシャン領土戦争[編集]

その後約25年特に戦争などはなかったがウェストインシャン人民共和国連邦側が報復と領土獲得のために停戦条約を破棄して宣戦布告。これによって第2次カメルーン=インシャン領土戦争が勃発した。この戦争は極秘で軍拡を続けてきて、ゲルマニア第5帝国からの支援もあったウェストインシャン人民共和国連邦側が優勢に進め、一時はカメルーン・アフリカ軍政社会主義国家の領土であったマダガスカルコモロモザンビークを軍の制圧下へと置いた。しかしながらその後にカメルーン・アフリカ軍政社会主義国家イメーワ同盟条約機構に加盟したことにより加盟国が戦争状態の場合に救援を行うという条約の下、キッド社会主義共和王国連邦が軍事介入を行い、カメルーン・アフリカ軍政社会主義国家側として参戦した。これにより戦局は一気に傾き、カメルーン・アフリカ軍政社会主義国家側が優勢となり、最終的にはウェストインシャン人民共和国連邦首都へ入城したところでウェストインシャン人民共和国連邦は降伏。第2次カメルーン=インシャン領土戦争は終戦した。この戦争は盗ゲ冷戦代理戦争としても知られる。またこの戦争においてはジェルディナリア連邦共和国モスクスターク第3社会主義共和国連邦なども人道支援に動くなど周囲の大国を動かし第3次世界大戦が起こる要因の一つともなった戦争でもある。

戦後処理[編集]

この戦争では第1次カメルーン=インシャン領土戦争の時とは違い、完全な決着がついたためキッド社会主義共和王国連邦首都であるKIDグラードにて講和会議が行われた。この講和会議はのちにKIDグラード講和条約と呼ばれ、以下のことが決定された。

カメルーン・アフリカ軍政社会主義国家はこの戦争において、タンザニア南部を併合し資源採掘権を3割奪取。在留軍の派遣と軍事基地の利用権、最後に250億円の戦争賠償金を獲得した。

キッド社会主義共和王国連邦はこの戦争においてケニアを併合し、ウガンダイメーワ同盟条約機構アフリカ総合管轄区を設置。また戦争賠償金150億円と在留軍派遣権、3個艦隊の譲渡を要求した。

ウェストインシャン人民共和国連邦はこの戦争で敗戦し軍隊は徴収され国土の8割を失い、高い賠償金などにより苦しめられることとなった。しかしながらその後国際社会に復帰した国からの経済援助もあり今では列強までは及ばないが強国となっている。