ウィリアム・P・バー
ウィリアム・P・バー(William Pelham Barr、1950年5月23日 - )は、1991年から1993年までにおける第一次ブッシュ政権での第77代司法長官である。2018年12月7日、ドナルド・トランプ大統領は、ウィリアム・P・バーを司法長官に指名すると発表し、2019年2月14日に就任した。現在、2回目の司法長官である。
経歴[編集]
ニューヨーク市で1950年5月23日、母マリー・マーガレットと父ドナルド・バーとの間に生まれる。マンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドで育ち、コーパス・クライスト・スクールと私立学校のホレイス・マン・スクールに通った。コロンビア大学で、1971年に経営学士、1973年に中国研究で修士の資格を得た。次いでジョージワシントン法科大学院で法務博士の資格を1977年に得た。
1973年から1977年までCIAで働いた。1977年から1978年まで、コロンビア特別区最上級裁判所のマルコム・リチャード・ウィルキー判事の書記官として働いた。
1989年から1990年まで司法省法律顧問局の司法次官補であった。1990年から1991年まで司法省副長官であった。
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領はイラン・アメリカ大使館人質事件における、優れたマネジメントに強い印象を受け、1991年に司法長官に指名した。2日間の公聴会でウィリアム・P・バーは尋常でない落ち着きを示し、民主党・共和党の双方に好感を与えた。1991年11月26日に就任し、1993年1月20日まで務めた。
司法省を退いた後、1994年からGTE(ジェネラル・テレフォン・アンド・コミュニケーション)勤務となったが、GTEはベル・アトランティックに買収され、新会社のベライゾン・コミュニケーションズが生まれ、同社に移籍した。2000年から2008年までベライゾン・コミュニケーションズのエグゼクティブ・バイス・プレジデントに就任した。ベライゾンとGTEでは上級管理者と取締役会への法的アドバスを担当した[1]。
2008年からはカークランド・エリスLLPのオブカウンシルに就任した[1]。
2019年2月14日、米国上院は54対45でウィリアム・P・バーの司法長官就任を承認した[2]。同日、宣誓し司法長官に就任した[3]。
2度目の司法長官に就任したのは、2人目である。
参考文献[編集]
- ↑ a b >William P. BarrKirkland & Ellis LLP
- ↑ PN17 — William Pelham Barr — Department of Justice
- ↑ WILLIAM BARR (2019- )