2代目大久保主水
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2代目大久保 主水(にだいめおおくぼ もんと、生没年不詳)は、江戸時代前期の菓子職人で、徳川家康の落胤とされる人物である。名は忠元(ただもと)とも伝わるが不明。
生涯[編集]
父は家康で、母はその愛妾である喜多見氏であったといわれる。この喜多見氏は家康の子、つまり主水を身籠ると、そのまま大久保忠行に下げ渡されたのだという。忠行は家康の譜代の家臣で、三河一向一揆で足を負傷して障害者になってほとんど戦場働きはできなくなっており、以後は家康に奉行として仕えて信任されていた。忠行は菓子作りという趣味を持っており、その菓子をある時家康に献上した際、家康はその美味に大いに喜んだという。
家康の死の翌年に忠行も死去し、その際になぜか主水がいるにも関わらず、知行地300石が江戸幕府により収公され、代わりに町屋敷を主水に与えている。主水は武士の身分を捨てて商人になり、忠行の菓子作りを学んでいたことからその菓子作りを探求して幕府御用達の菓子司にまで栄達し、その後、歴代の大久保主水はこの職を世襲したという。