鷲野忠雄

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鷲野 忠雄(わしの ただお、1936年3月[1] - )は、弁護士。

長野県下高井郡瑞穂村(現・飯山市)生まれ。貧農の家の10人の子どもの内の7男。長野県飯山北高等学校卒業。東大受験に2度失敗。1955年上京。1956年早稲田大学法学部に進学。清瀬市朝日新聞販売店で働きながら勉学に励む。1960年早稲田大学大学院に進学(野村平爾門下)。1961年10月司法試験に合格。1962年早稲田大学大学院修了(労働法)。司法研修所に入所[2]。1964年4月弁護士登録(16期)[1][2]。東京中央法律事務所に入所[2]。1970年芦田・鷲野法律事務所を創設(のち鷲野・白川法律事務所、鷲野法律事務所)[3]

60年代後半から70年代初めの司法・裁判官の独立に政府・最高裁からの圧力が加えられた「司法の危機」と呼ばれた時代に青年法律家協会(青法協)の事務局長を務めた[4]。青年法律家協会弁護士学者合同部会(青法協弁学合同部会、1970年創立)初代事務局長[5]日本民主法律家協会(日民協)事務局長、司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議(司独)事務局長、中央選挙管理委員会委員を歴任。選挙運動、小選挙区反対運動、日弁連[2]自由法曹団東京支部などでも活動する[6]。2009年時点で司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議幹事[7]公職選挙法の権威としても知られる[8]

著書[編集]

  • 『公選法に強くなる――一票を生かす選挙法のすべて』(労働旬報社、1983年)
  • 『日本の政治はどうかわる――小選挙区比例代表制』(石川真澄、水島朝穂、渡辺治共著、労働旬報社、1991年)
  • 『検証・司法の危機 1969-72』(日本評論社、2015年)

出典[編集]

  1. a b 鷲野 忠雄 日本評論社
  2. a b c d 佐藤むつみ「とっておきの一枚●弁護士 鷲野忠雄先生」『法と民主主義』2012年5月号
  3. 東京中央法律事務所『憲法理念の実現をめざして――東京中央法律事務所の20年』エイデル研究所、1984年
  4. 第50回司法制度研究集会PDF 日本民主法律家協会
  5. 『青年法律家』No.478、2010年12月25日PDF
  6. 鷲野忠雄「第一八回最高裁国民審査に当って」自由法曹団通信987号、2000年6月11日
  7. 最高裁裁判官/国民審査の改善を/国民連絡会議 中央選管に申し入れ しんぶん赤旗、2009年8月11日
  8. 弁護士会の読書:「検証・司法の危機 福岡県弁護士会