高橋正則 (1911年生)
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高橋 正則(たかはし まさのり、1911年 - )は、政治評論家[1]。
群馬県生まれ。早稲田大学中退。1934年国民新聞社に入社。満州新聞社、産経新聞社を経て、同盟通信社記者[2]。1943年『決戦満州国の全貌』(山海堂出版部)を刊行。駐日満洲帝国大使館一等書記官の高橋源一は同書の序文で「本書の著者高橋正則君は、新聞記者として最近まで七ケ年間、満洲をはじめ支那及び関東州を馳け巡り、大陸政策に関しては豊富なる見識を持つて居られる」と述べている。戦争末期、同盟通信社記者として運輸通信省の記者クラブに所属していた関係もあり、戦後、丸ビル内に交通通信社を設立、日刊『交通通信』を発行[1]。1956年社団法人運輸広報協会が設立され[3]、『交通通信』が『運輸広報』に改題。理事会、総会で理事長に選出され、15年間『運輸広報』を発行した[1]。
『日本政治辞典』(国書刊行会、1980年)の著者略歴によると、著書に『満州国の全貌』『政変史』『ローマは教える』『現代・ジャーナリスト講座』『政治の辞典』などがある。『ローマは教える』は連載小説[1]。
1914年生まれの同姓同名の政治評論家がおり、両名とも産業経済新聞社、同盟通信社の記者を務めている。
著書[編集]
- 『決戦満州国の全貌』(山海堂出版部、1943年)
- 『日本政治辞典』(編、国書刊行会、1980年)