高山顕治
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高山 顕治(たかやま けんじ)は朝日新聞社の記者。現在同社秩父支局長である。
人物[編集]
1987年5月に発生した朝日新聞阪神支局襲撃事件で、現場となった編集室に居合わせた三人の記者の一人。事件当時25歳。
編集室には高山記者の他に犬飼兵衛記者と小尻知博記者がおり、犬飼記者は散弾銃で撃たれて重傷を負い、次いで撃たれた小尻記者は病気に運ばれたが死亡した。銃声に驚いた高山記者はソファーの陰に隠れてやり過ごそうとし、犯人も一瞬高山記者に銃口を向けたが発砲せず立ち去った。結果、高山記者だけは銃撃を受けなかった。
高山記者が撃たれなかったのは、装弾数二発の二連銃身式散弾銃が使われたからである。二連銃身式散弾銃は上下二連式と水平二連式の二つのタイプがあり、それらの違いは一目瞭然なのだが、高山記者の証言はハッキリせず、どちらなのか未だに特定されていない。彼の証言がハッキリしないことで、使われた銃を絞り込むことができなくなり、捜査に支障を来してしまった。
高山記者は、事件発生時の夢を何度も見たと語っている。彼の証言が曖昧なのは、夢と現実を混同しているのが原因と考えられる。
自分だけ銃撃を免れたことに負い目を感じていたが、事件の数年後に犬飼記者から「高山がおらんかったら、死んでいたかもしれない」と言われ、救われた気持ちになったという[1]。
脚注[編集]
- ↑ 朝日阪神支局の元同僚、襲撃事件未解決「悔しい」 犬飼兵衛記者の死去悼む 産経WEST(2018年1月19日)
- ↑ 吉沢英将 現場で銃口向けられた記者、亡き先輩思う 阪神支局襲撃 朝日新聞デジタル(2017年5月2日)