飯田蛇笏生家(いいだだこつせいか)とは、山梨県笛吹市境川村小黒坂にある俳人・飯田蛇笏の生家である。
飯田蛇笏は大正時代から昭和時代にかけて活躍した俳人で、境川村で生まれた。早稲田大学を卒業して俳人としてデビューしたが、24歳のときに東京を離れて故郷に戻り、77歳で死去するまでの間、雑誌・『雲母』の主宰や『山蘆集』などの句集をこの生家から発表し続けた。飯田家は歴代が名主を務めていた名家のため、豪農屋敷の造りとなっている。