阿津賀志山防塁跡
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阿津賀志山防塁跡(あつかしやまぼうるいあと)とは、福島県伊達郡国見町大木戸など各地に存在する国の史跡である。
概要[編集]
国見町の北端にある標高289.4メートルの小さな丘にある史跡で、別名を「伊達の大木戸」あるいは「厚樫山防塁跡」と言われる。
平安時代末期に源義経を始末した後、源頼朝は大軍を率いて奥州の藤原泰衡を攻めた。泰衡は兄の藤原国衡に2万の軍勢を与えてこの山の北に城を築かせ、さらに山下に数キロに及ぶ空堀を掘らせて頼朝に備えさせた。
頼朝はこれに対して、麾下の名将・畠山重忠に攻めさせたが敗退し、小山朝光に別動隊を編成させて鳥取峠から奇襲させる作戦をとる。これが成功し、国衡とその配下の金剛秀綱らが戦死し、奥州藤原氏は事実上壊滅した。
現在、ここは平安時代末期の貴重な古戦場として国の史跡に指定されている。