長沢了仙

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長沢 了仙(ながさわ りょうせん、生年不詳 - 1916年大正5年〉5月15日)は、日本の医師出羽国医者[1][2]

来歴[編集]

出羽国清水村秋田県仙北郡中仙町、現在の大仙市)の清水瀬川の生まれで、長沢家の22代目。医学を細川了斎、漢学を狩野徳蔵根本通明らに学ぶ。1870年明治3年)、26歳の時に瀬川に帰り、医業[1][2]

学問を第一とし、医を第二とした。冷水摩擦の療法や、玄米食の効能を解いたが、人は奇妙なこととし、農事の改良に乾田耕作を奨励したものの、実行するものは少なかったという[1][2]

1886年(明治16年)の医師名簿には長沢の名前が見受けられる[3]

72歳で亡くなった[1][2]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. a b c d 『秋田人名大事典・初版』p.294
  2. a b c d 『秋田人名大事典・第二版』p.486
  3. 『図説 大曲・仙北の歴史 下巻』p.71。

参考文献[編集]