鄧茂七の乱

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鄧茂七の乱(とうもしちのらん)とは、1448年から1449年にかけて中国王朝で発生した農民の反乱である。

概要[編集]

明は第6代皇帝英宗正統帝の時代になると、次第に退潮の色が滲み出していた。そのような中で福建省で反乱が発生する。

鄧茂七という人物は福建省の小作人で、下級小作人の顔役のような人物だった。当時、明は第3代皇帝・永楽帝の時代に行なわれた外征などから財政が苦しくなっており、そのため重税を強いていたのだが、鄧茂七はこれを減税してもらおうと地主に嘆願書を提出する。ところが地主は応じず、そればかりか役人と結託して鄧茂七らの弾圧を願い出た。このため、鄧茂七らは追い詰められた形になり、1448年に地元の知事を殺害する直接行動に出た。鄧茂七自身は明を打倒するまでの意思は無く、また追い詰められての反乱だったことからあくまで中央政府に減税などの要求をするだけで、訓練された軍隊も整備された組織も何も無かった。このため、中央政府が要求を拒否して本軍を派遣すると、鄧茂七らの反乱軍はすぐに壊走し、1449年の年明けに鄧茂七は追い詰められて戦死を遂げた。