那珂湊反射炉跡
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那珂湊反射炉跡(なかみなとはんしゃろあと)とは、現在の茨城県ひたちなか市栄町1丁目10番にかつて存在した反射炉である。
概要[編集]
湊公園の北に存在した反射炉である。江戸時代末期に欧米の脅威により海防に力を注いだ水戸藩主・徳川斉昭が江戸幕府から多額の資金を借用して、銅製に代わる鉄製の大砲を製造するために反射炉を建設したのが起源である。
安政2年(1855年)に第1炉、安政4年(1857年)に第2炉が完成した。高さは15メートル余りに達し、使用した耐火煉瓦は4万枚に及んだ。ここで鋳造された大砲は記録によると28門以上、各地の砲台(台場)に据えられたり、水戸藩から幕府に献上されたりしたという。
この反射炉は斉昭の死後から4年後に発生した天狗党の乱により破壊されたが、昭和12年(1937年)に復元された。
アクセス[編集]
- 那珂湊駅から徒歩で10分。