路 粋(ろ すい、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。字は文蔚(ぶんうつ)[1]。
兗州陳留郡の出身[1]。曹操に仕え、建安年間に文才を買われて尚書郎に抜擢され、後に軍謀祭酒となり記室を担当する[1]。208年に孔融に過失があったとして曹操の意を受けて弾劾文を作り、孔融を罪に陥れた[1]。214年に禁令を犯したとして法に服した[1]。