譙 秀(しょう しゅう、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀・西晋の隠士。祖父は譙周。父は譙熙。叔父は譙賢・譙同。字は元彦(げんげん)[1]。
西晋の時代に隠士となり、各地の州郡から招聘されたにも関わらずに応じず、常に鹿皮の冠をかぶり野良仕事をしていたという[1]。90歳余りで死去した[1]。