西郷邸跡
ナビゲーションに移動
検索に移動
西郷邸跡(さいごうていあと)とは、現在の福島県会津若松市追手町に存在する武家屋敷跡である。
概要[編集]
会津若松城の大手門外近くにあった会津藩家老・西郷頼母の邸宅跡で、現在のそこは広大な会津武家屋敷に復元されている。西郷頼母は戊辰戦争の際、徹底抗戦を主張する藩論の中で終始恭順を説いていたが、和平策は退けられて抗戦となると、幼少の長男を伴って会津若松城に籠城した。若松城下に明治政府軍が迫ると、母の律子は漢詩を吟じて頼母を励まし、妻の千恵子は「なよ竹の風にまかする身ながらも、たまわぬ節はありとこそ聞け」と辞世の句を詠むと、砲声が轟く中で足手まといになることを恐れて頼母との間に生まれた9歳、4歳、2歳の息子を自ら刺殺した。これに伴って妹2人、長女16歳、次女13歳ら西郷一族21名はことごとく自刃して倒れたという。
この辞世の句を刻んだ「なよ竹の碑」及び「二一之墓」は、現在は若松市内門田町にある善竜寺の山腹に残されている。