袴田事件における検察への批判意見

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1966(昭和41)年に静岡県で発生した袴田事件で死刑判決を受けた袴田巌死刑囚は実は冤罪であったということが、今では誰の目にも明らかになっている。しかし、検察は真相を究明する気など毛頭無く、検察の威信をかけて袴田死刑囚を再審でも有罪にしようと躍起になっているのである。

検察は出鱈目な仕事をして人の人生を台無しにし、凶悪な殺人犯を野放しにし、更にそのような出鱈目な仕事をして、高い給料を貰っているのである。冤罪ゴリ押しとは、検察のこの態度をジャーナリストが揶揄した言葉である(なおこの言葉が使われているのが確認できるのは、ウェブサイト「Change.org」で一般人によるオンライン署名のコメント欄投稿での「冤罪ごり押し」という一般人が使った言葉のみなので、正しくはジャーナリストが揶揄した言葉ではないと思われる[1]。また表記も記事タイトルにある「冤罪ゴリ押し」ではなく、「冤罪ごり押し」であるが、「冤罪ゴリ押し」という表記で表現しているジャーナリストが揶揄している例は不明)。

その他[編集]

袴田死刑囚を取り調べた警察官は、数々の冤罪事件を起こし「昭和の拷問王」「冤罪士」として悪名高い紅林麻雄から拷問の技術を伝授された元部下であった。紅林は無実の人に犯行を自白させることにおいて天才的な才能の持ち主であった。

袴田死刑囚が犯行時に着ていたという服が事件から一年二か月も後に発見されたのは胡散臭い。明らかに証拠の捏造である。しかも袴田死刑囚の体には合わないサイズであった。

袴田死刑囚は事件とは無関係で、取り調べでも裁判でも一貫して犯行を否認していた。拷問まがいの尋問に堪えかねて一時的に、やってもいないことを自白させられただけなのである。空気読みすぎの裁判官から死刑判決を受けた袴田巌死刑囚が無実だということは、今では誰もが知っている。その裁判官の一人、熊本典道氏は辞職し「無罪を確信しながら死刑判決文を書いた」と主張していたのである。

検察関係者でも、重度の知的障害が無い限り「袴田さんは無実だ」とわかっているのである。しかし検察は、わかっているけど「袴田死刑囚の犯行だ」と信じたいのである。更に「これは冤罪ゴリ押しではなく正義の貫徹だ」と信じたいのである。

凶器とされるくり小刀では犯行は不可能なことなど多くの疑問点について普通に考えれば明らかに無実であろう袴田死刑囚の再審で、検察の期待通りに有罪判決が出る可能性は極めて低い。無罪判決が出たら検察は惨めのドン底である。検察もその程度のことは知っているのである。

そのため検察は「再審を長引かせ時間を稼げば、無罪判決が出る前に、既に高齢となっている袴田死刑囚が死ぬ可能性が高くなる。無罪判決が出る前に袴田死刑囚が死ねば検察の威信が守られる」と愚かな期待をしているようである。

自己保身のために、そこまで頭を働かせるならば、真相究明のためにも多少は頭を使って貰いたいものである。

関連項目[編集]

脚注[編集]