信じたい
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信じたい(しんじたい)とは、人間の心理状態を表現する言葉の一つである。
言語学的分析[編集]
心理学的分析[編集]
- 一見すると「信じている」と大差のない言葉のようだが、意味は大きく異なっている。
- 「信じたい」とは「信じることはできないが、本当だったら良いなあ」という願望を表現した言葉なのである。
- 「信じたい」は「信じている」の完全な対義語ではないが、対義語に近い性質を持った言葉なのである。
- 信じたいだけなのに「信じている」と言う人は少々頭がイカレているものと思われる。
- 「こうだと私は信じている」と誰かが言っても鵜呑みにしてはいけない。信じたいだけなのに「信じている」と言う変人が少なくないからである。
用例[編集]
- 「竹槍で突けば米軍機を撃墜できる」という隣組長の話を信じたい。でも竹槍が米軍機まで届くとは思えない。「無理だ」と言ったら俺は非国民と呼ばれるんだろうなあ。
- 生活保護で暮らしている両親の「結婚祝いにマンションを買ってやるぞ」という言葉を信じたい。でも、そんなの無理に決まっている。
- 「私は先日、何百キロも離れた遠い町に行ってきました。そこには病気の人がいました。私がその人のために祈ったら病気は即座に治ってしまったのです」という牧師の話を信じたい。でも遠い町では確認のしようがない。あの牧師がこの町で病人のために祈って病気が治ったことなんて一回もないんだけどねえ。
使用上の注意[編集]
信じたいだけなのに「信じている」と言ったら、それは嘘であり盲信である。