藩境塚
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藩境塚(はんきょうづか)とは、青森県上北郡野辺地町字柴崎8-81に存在する江戸時代の境界塚のことである。
概要[編集]
旧平内町の南東端、狩場沢の海岸に存在する境界線を示す塚である。この塚は江戸時代に津軽氏、南部氏の弘前藩と盛岡藩が両藩の境界線を示すために築かれたものと言われており、雑木や笹に覆われた高さ5メートルほどの円丘が、小川を挟んで2つずつ残っており、現在では青森県の史跡に指定されている。
津軽氏はもともと南部氏の家臣であったが、南部晴政・南部信直の時代に津軽為信が自立して独立し、それ以降激しく対立していた。その対立は江戸時代になっても尾を引き、『南部史要』では南部氏が津軽氏を仇敵と見なして士民は勿論のこと、子供や女性でも往来を断絶していたと記録されているほどである。
現在ではこの藩境塚は旧津軽領の東津軽郡と旧南部領の上北郡を示す境界となっている。