蓑虫騒動

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

蓑虫騒動(みのむしそうどう)とは、江戸時代中期の寛保4年2月12日1748年3月10日)に越前国福井藩で発生した事件である。蓑虫の由来は、一揆を起こした百姓らが蓑笠を被った乞食姿で活動していたことから、まるで蓑虫のようだったということで名付けられたものである。

概要[編集]

福井藩主は徳川将軍家の親族である越前松平家であるが、この家は日光東照宮修復のための御用金を調達するためとして、この年に年貢の増徴を布告した。これだけで勿論、農民の負担は増加して不満が高まるが、もともとこれが負担増の始まりではない。これまで福井藩では財政再建のために無茶な増税や賦役を繰り返しており、そのために藩内では強訴逃散が繰り返されていた。こうして不満が溜まっていたときに、それに油を注ぐように負担増を布告したため、遂に藩内の領民が切れたのである。

この騒動には、百姓ばかりか城下の町民まで参加しており、御用金の賦課が課されていた面々のほとんどが参加していたようである。また、一揆を起こした面々は蓑笠を着用して乞食姿で藩内を徘徊したり活動したりして騒動はなかなか沈静化しなかった。越前松平家ではこの異様ともいえる騒動を早く沈静化するため、やむなく一揆側の年貢半減という要求を全面的に認めて、この騒動は収束に向かった。