胡沙虎

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胡沙虎(こさこ、女真音:クシャク、? - 1213年)は、女真貴族出身の軍人武将紇石烈(こつせきれつ、フシャリ)、漢名は執中。女真名は忽沙虎ともいわれる。

生涯[編集]

金に仕えて、南宋との戦いでは司令官に任命されて武功を大きく挙げた。武勇猛々しく軍功を誇ったため、権勢を誇って軍法を無視したり、性格が獰猛で残忍だったといわれている。

チンギス・ハーン率いるモンゴル帝国軍が侵攻した際にも軍司令官に任命されて防衛に当たるが、チンギスの敵ではなく度重なる守戦に敗北して連敗し、首都の中都に逃げ戻った。この敗戦に金の皇帝である衛紹王は激怒し、胡沙虎を敗戦の罪で処罰しようとしたがそれを知った胡沙虎は逆クーデターを起こして衛紹王を捕縛して後に宦官に毒殺させ、さらに多くの官人も抹殺した。こうして実権を掌握した胡沙虎は、衛紹王の甥に当たる宣宗を擁立し、これを傀儡として操り手になった。

うち続くチンギスの侵攻に対しては、部下の高琪に軍を預けて防衛させるも、彼もチンギスの前に敗北。そして、胡沙虎に処罰されることを恐れた高琪によって自らの屋敷を襲撃されて抹殺された。権力を握ってわずか50日ほどのことだったという。