竹内静子

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竹内 静子(たけうち しずこ、1935年9月25日[1] - 2006年6月[2])は、労働社会学者[3]、評論家[1]

京城生まれ[1]早稲田大学政治経済学部卒業[1]。1960年から1985年、毎日新聞社に勤務[4]。夫は哲学者の内山節[3]。内山と出会った1968年当時は『エコノミスト』編集部に在籍していた[5]

高校全共闘をレポートした『反戦派高校生』(1970年)は70年代当時「闘う高校生のバイブルの一冊」になっていた[6]。1990年当時反管理教育運動に携わっていた外山恒一にも影響を与えた[7]。労働が解放されなければ人間は解放されないという問題意識を持ち、『一九三〇年代の構造』(1975年)などで労働社会学的視点から日本の近現代史を検証した。『現代社会と労働存在』(1987年)では労働や人間を関係論的に捉え、近代思想を批判した[5]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『戦後民主主義への告発――70年代への起動』(亜紀書房、1969年)
  • 『反戦派高校生』(三一書房[三一新書]、1970年)
  • 『一九三〇年代の構造』(田畑書店、1975年)
  • 『戦後社会の基礎構造』(田畑書店、1978年)
  • 『1960年代――現代ファシズムと労働』(田畑書店、1982年)
  • 『パリ・ベルヴィルの日々』(日本経済評論社、1984年)
  • 『現代社会と労働存在――科学主義・合理主義・個人主義をこえて』(日本経済評論社、1987年)

共著[編集]

  • 『往復書簡 思想としての労働』(内山節共著、農山漁村文化協会[人間選書]、1997年)

分担執筆[編集]

  • 小山弘健、浅田光輝編『戦闘的左翼とはなにか』(芳賀書店、1969年)
  • 内山節編『《森林社会学》宣言――森と社会の共生を求めて』(有斐閣[有斐閣選書]、1989年)

脚注[編集]

  1. a b c d 日外アソシエーツ編『現代日本女性人名録』日外アソシエーツ、1996年、585頁
  2. 事務局日記:NO.341 竹内静子さんのこと 文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議(2006年9月25日)
  3. a b 「(ローカリストの時代)内山節さん 群馬と東京、二重生活40年 村に来る、役割求めて」『朝日新聞』2015年5月9日付夕刊地域総合夕刊5面。“9年前に亡くなった労働社会学者の妻、竹内静子さんの遺骨はまだ、家の中にある。”
  4. 『往復書簡 思想としての労働』奥付
  5. a b 内山節「あとがき」『往復書簡 思想としての労働』213-221頁
  6. 前田年昭「書評・小林哲夫著『高校紛争 1969-1970』」『図書新聞』第3060号 2012年4月28日付掲載
  7. 外山恒一「私と全共闘

参考文献[編集]

  • 佃實夫ほか編『現代日本執筆者大事典 第3巻 (人名 す~は)』(日外アソシエーツ、1978年、196-197頁)

関連文献[編集]

  • 小山弘健『日本階級運動の現段階』(現代史研究所、1970年)
  • 諏訪兼位、田口富久治、岩間優希、影浦順子、竹川慎吾、小島亮『伽藍が赤かったとき――1970年代を考える』(中部大学[中部大学ブックシリーズ Acta]、発売:風媒社、2012年)