石 弘(せき こう、312年 - 334年[1])は、五胡十六国時代の後趙の第2代皇帝(在位:333年 - 334年)[1]。字は大雅[1]。
父は初代皇帝の高祖で次男。文人肌で儒学者と親しみ[1]、高祖の皇太子ではあったが武力に優れる石虎を恐れ、333年7月に父帝が崩御すると石虎に皇位を譲ろうとしたが受け入れられなかったため、やむなく帝位についた[2]。しかし実権は石虎が掌握し、丞相・魏王。大単于に就任し、石氏一族の抵抗を333年10月までに平定すると、翌年11月に廃され、後に殺された[2][3]。享年23。
- ↑ a b c d 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P85
- ↑ a b 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P86
- ↑ 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P65
参考文献[編集]