石坂洋次郎

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石坂洋次郎(いしざか ようじろう、1900年1月25日-1986年10月7日)は、流行作家。

人物[編集]

青森県生まれ。慶應義塾大学文学部国文科卒。青森県・秋田県で教師を務めるかたわら、1927年に小説「海をみに行く」を発表。妻・うら子がプロレタリア作家の山田清三郎と不倫関係になった事実をもとにした『麦死なず』を1936年に発表し、文壇的地歩を固めた。

1933年から『三田文学』に「若い人」を連載するが、これは一民間右翼から不敬に当たる箇所があるとして出版法違反で告訴されたが不起訴となった(戦後、本人がこの事件について「不敬罪と軍人誣告罪で」と書き続けたため踏襲している文書があるが間違いである)。

戦後「青い山脈」「石中先生行状記」などでリベラルな男女関係を広めたとされ、『青い山脈』は映画化されて主題歌が有名になったが、この程度にリベラルな男女関係は昭和10年前後にもあったことで、戦後のリベラルさが過剰に強調されていると西尾幹二が批判している。

他のに『乳母車』『丘は花ざかり』『陽のあたる坂道』『光る海』『寒い朝』などがあり、石原裕次郎芦川いづみ吉永小百合などの主演で多く映画化され、流行作家の名をほしいままにした。俳優の石坂浩二はその芸名を石坂からとっている。1966年、菊池寛賞受賞。1967年から77年まで直木賞選考委員。野間文芸賞選考委員も務めた。

晩年の『血液型などこわくない!』(1970)では、父と娘の近親相姦にまで筆が及んだが、同性愛をまったく認めない姿勢を示した。