田畑永代売買禁止令

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田畑永代売買禁止令(でんばたえいだいばいばいきんしれい)とは、寛永20年(1643年)3月11日に江戸幕府が発した法令である。田畠永代売買禁止令ともいわれる。江戸幕府が出した法令であるが、江戸幕府崩壊後もこの法令は明治政府により引き継がれ、最終的に明治5年(1872年)の太政官布告により廃止された。

概要[編集]

寛永19年(1642年)に寛永の大飢饉が発生し、これにより本百姓の没落が激しくなった。本百姓の没落はすなわち幕府の租税能力の弱体化であり、幕府はそれを防ぐために法令を発した。主な内容は以下のものである。

  • 寛永20年(1643年)3月10日付で代官宛の覚書7か条の第3条の部分、3月11日付農民宛の土民仕置条々17か条の第13条部分と、3月付で出された罰則「田畑永代売御仕置」4か条を総称して、田畑永代売買禁止令という。これにより、本百姓が田畑を売ることは永久に禁止となった。
  • ただし例外として、一定期間を限って田畑を売り、買主がその田畑を耕作して収穫を得たのち、期限が過ぎると元の売り主に田畑が帰るという「年季売」と、借りた金銭を返済して買い戻し行為をしなければ、田畑が本来の所有者に戻らないという本物返(本銭返)は認められていた。

なお、時代が進むと質流れによる実質的な田畑の移動も行われ、当初はこの禁止令を破った場合は売り主は入牢の上で追放、買主は数日間入牢という処罰だったが、これは罰金刑に変更されるなど、次第に形骸化していった。