生活協同組合コープこうべ
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生活協同組合コープこうべ(せいかつきょうどうくみあいコープこうべ)は、主に灘・神戸地区に販路を持つ生協。
概要[編集]
社会運動家の賀川豊彦の指導により大正10年(1920年)灘・神戸に購買組合ができ、これが前身となる。戦時中は危険分子とみなされて弾圧に遭った。
戦後、賀川豊彦は生協運動の再建に取り組んで日本生協連の初代会長となる。灘と神戸の購買組合は合体して灘神戸購買組合となり生協法に従って灘神戸生協になる。
灘神戸生協は、生活協同組合コープさっぽろが合併する前までは一大商圏を誇った生協である。芦屋市の組織率は100%だった。
ダイエーの中内功がライバルとして最も恐れた存在だととある書籍では語られていた。