水野忠邦の墓(みずのただくにのはか)とは、茨城県結城市山川新宿1653-1に存在する墓である。
結城市の南端、山川新宿西側の台地にある墓である。ここには水野氏の墓が建立されており、水野家初代の水野忠元から第11代の水野忠邦までの墓がある。
水野忠元は徳川家康に仕え、死去するにあたりその遺体を埋葬した墓所の辺りに壮大な万松寺が建立された。水野忠邦は江戸時代後期に天保の改革を行なった老中として有名だが、改革に失敗して失意のうちに没している。忠邦の墓は茨城県の史跡に指定されている。
アクセス[編集]
- 結城駅からバスで30分、バス停中央集会所から徒歩で12分。