民度

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民度(みんど)は文明の進歩の度合い、生活の貧富の度合い、政治的成熟度などを意味する用語である。経済的な余裕度であるか、知的水準であるか、意味を曖昧した使われ方も往々にして見られる。

日本・中国の古典には見られない用語である。使用例からみると、明治時代に生まれた造語と考えられる。

用語の使用例[編集]

陳贇によれば、初出は1878年(明治11年)3月の第二回地方官会議の傍聴記の「傍聴吟」(春松生)であるという[1][2]。その原文は「君不見中央政府量民度、定律明治十一年」である。つまり中央政府が民度をはかりつつ、法律を制定していく、といった文脈で使用されている。『明治事物起原』著者の石井研堂が当時の新聞雑誌から収録したものとされるが、出典の詳細は明らかにされていない。

書籍では、1891年(明治24年)10月『東洋之立憲政治 : 附・三大論策』に「我が今日の民度は果たして憲法制度を運用するの力ありや否や」という文脈において、人民知識の進歩の程度という意味で使用されているものが早い例である。

明治時代には、主として経済的な側面より、政治的成熟度、知的水準という意味で「民度」が使われていたが、経済的な側面を示す資料もある。

1890年(明治19年)11月17日の『東京朝日新聞』掲載の論説では「内務省に於ては訓令第七号を徹して曰く乗合馬車人力車宿屋の営業及び街路に於けるや、警察上各其取締の方法を設けざる可からず、而して民度の高低土地の都鄙に由り、其間自から寛厳の差なきを得ざるもの」との文脈で書かれており、ここでは経済的な意味で使用されている[1]

「民度」の用語は明治時代に生まれたが、その当時においても曖昧な使われ方がみられる。

語源[編集]

漢籍等の古典には見られない単語である。津田真道「其国人文開闢の度[3]、西周「人民開化の度[4]、西村茂樹「政治は民の開化の度に従ふ」[5]などの使用例から、「人民開化(生活)の度」が「(国、人)民の度」となり、最終的に「民度」に短縮化されたと陳贇は考察する[1]。一つの言葉で、経済と知的水準の両方を表す便利な言葉として、曖昧さを含みながら広まったという説は納得しやすい。つまり明治時代に多数生まれた和製漢語のひとつであろう。同様の例としては「民の権」から「民権」が生じている。

中国で使用される「国民程度」「人民程度」は政治的、思想的なレベルを表す言葉であるが、中国固有の表現ではないため、日本の「民度」の使用例に影響されて使われるようになったものと陳贇は推察している[1]

論文での使用[編集]

2018年の論文「離島における糖尿病関連国民健康保険医療費の考察」[6]において、医療費は「医療機関、保健師活動の違い、文化、土地柄、民度、住民の気質なども様々な因子が影響している」と、民度は医療費水準を決める因子の一つに「格上げ」されている。ここでは生活スタイル(様式)などの意味が込められている。民度の科学的研究が求められる。

国語辞典での説明[編集]

「民度」を『広辞苑』では人民の生活や文化の程度として、経済面(生活水準)と文化的な側面の両方にかけて説明している。『日本国語大辞典』においても国民あるいは住民の生活の貧富や文明の進歩の程度として、経済的な豊かさ、あるいは知的水準の程度の両方を意味する言葉として説明されている。明治時代と同じように曖昧な使用法がされていることが分かる。『和英中辞典』では「the cultural level of the people」とするから、こちらは文化的な側面を主な意味としている。

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 陳贇(2012)「「民度」: 和製漢語としての可能性」関西大学東西学術研究所紀要、pp.279-296
  2. 石井研堂(1997)『明治事物起原』4 (【第七編】教育学術部【第八編】新聞雑誌および文芸部)、筑摩書房
  3. 津田真道(1868)『泰西国法論』開成学校
  4. 西周(1874)「駁旧相公議一題」、『明六雑誌』第3号
  5. 西村茂樹(1875)「政体三種説」(下)、『明六雑誌』第28号
  6. 山下一也、吾郷美奈恵、野島慶明(2018)「離島における糖尿病関連国民健康保険医療費の考察」島根県立大学出雲キャンパス紀要