毒麦のたとえ
ナビゲーションに移動
検索に移動
毒麦のたとえ(どくむぎ-)とは、新約聖書に記載されている、イエス・キリストが話された例え話の一つ。
概要[編集]
「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである」と述べてから、以下のような例え話を話された[1]。
- ある畑の主人は僕たちを使い、良い種(麦)を自分の畑に撒く。
- なぜか毒麦も出てくる。
- 主人は敵の仕業と考える。
- 僕たちは毒麦をすぐに引き抜く事を提案する。
- しかし主人は誤って麦も一緒に引き抜く事を避けるため、その提案を却下する。
- 畑の主人は、麦も毒麦も収穫まで成長させ、収穫の時になったらまず毒麦を集めて焼き、その後、麦の収穫に取り掛かる方針を立てた。
意味[編集]
聖書中でイエス自身が以下のように意味を解説している[2]。
- 「良い種をまく者は、人の子」(「人の子」という表現はイエス・キリストを指して用いられる[3]。)
- 「畑は世界」
- 「良い種と言うのは御国の子たち」
- 「敵は悪魔」
- 「毒麦は悪い者の子たち」
- 「収穫とは世の終りのこと」
- 「刈る者は御使たち」
つまり[編集]
『不思議に聞こえるかも知れませんが、聖書によれば「会衆(教会)」とは、神の子供と悪魔の子供が渾然一体となって存在しているグループであるということです。[4]』!
「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。」[5]とあるため、その行いによって「神の子供」と「悪魔の子供」を見分ける事は可能だと思われます。
脚注[編集]
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)13章24節から30節”. ウィキソース (2018年5月29日). 2019年1月7日確認。
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)13章36節から43節”. ウィキソース (2018年5月29日). 2019年1月7日確認。
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)9章6節から8節”. ウィキソース (2018年5月29日). 2019年1月7日確認。
- ↑ “54 「その実によって見分ける」-あなたは何を見分けていますか”. ヨベルの角笛. 2019年5月1日確認。
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)7章17節から18節”. ウィキソース (2018年5月29日). 2020年2月9日確認。