横尾の水牢

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横尾の水牢(よこおのみずろう)とは、群馬県吾妻郡中之条町横尾1639にかつて存在した水牢である。桃瀬の水牢(ももせのみずろう)とも言われる。

概要[編集]

この水牢は吾妻神社前から桃瀬川の右岸沿いに、田園の畦道を北へ5分ほど入ったところの雑木林に囲まれた形で存在していた。

江戸時代前期、上野国沼田藩主・真田信利(信澄)は領民に過酷な藩政を敷いた。厳しく年貢を取り立て、滞納する者は横尾の代官である高橋七郎兵衛に命じてこの水牢に受牢させた。当時の水牢の規模は約12四方で、深さは70センチ、周囲をそだで囲んで一方に木戸が設けられていたと見られている。現在では長さが約5メートル、幅が3メートルほどの小さなになっているが、当時の水牢を物語るように周囲に石垣の一部や水口、舟底石などが現存している。記録などによると、信利は年貢の滞納者本人を入れるのではなく、その滞納者の妻子を逮捕して入れていたとされており、滞納している夫は妻子を救うために年貢を何とか納めるのに工面したとされている。

なお、この信利は有名な真田昌幸の曽孫で、真田信之の孫、真田信繁(幸村)の大甥に当たる。後に藩政の悪政を江戸幕府に咎められて改易されることになった。

アクセス[編集]