榊原康政の墓

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小牧・長久手の戦いにおける榊原康政。楊洲周延

榊原康政の墓(さかきばらやすまさのはか)とは、現在の群馬県館林市楠町3692の善導寺境内にある墓である。

概要[編集]

榊原康政

徳川家康に仕えて徳川四天王のひとりとして数々の武功を挙げ、上野国館林藩の初代藩主となった榊原康政の墓であり、現在は群馬県の史跡に指定されている。墓は高さ1.5メートルの宝蕎印塔で、表に「養林院殿上誉見向大禅定門」「慶長十一丙午季五月十四日」という法名と命日年月日が刻まれている。これは榊原康政の33回忌に当たって康政の孫である榊原忠次(康政の長男・大須賀忠政長男)が創建したものである。

墓に向かって左手に康政に殉死した南直道の墓が、右手に康政の長男の忠政、その忠政の異母弟で康政の3男である榊原康勝、そして康勝の母である花房氏などの墓塔が並んでいる。

アクセス[編集]