楊侑
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楊 侑(よう ゆう、605年 - 619年)は、隋の第3代皇帝(在位:617年 - 618年)[1]。帝号は恭帝(きょうてい)[1]。
生涯[編集]
隋の第2代皇帝・煬帝の子である元徳太子楊昭を父とする[1]。2歳で陳王に封じられ、後に代王に改封される[1]。隋が煬帝の圧政により全国各地で反乱が起こり、そのひとつである李淵によって617年に長安が占領された際、李淵により皇帝に即位させられた[1][2]。
618年、江南に逃げていた祖父の煬帝が重臣の宇文化及により殺害されると、李淵より禅譲を迫られて退位した[1][3]。その翌年、李淵により殺害された[1]。享年15。