桐井忠夫

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桐井 忠夫(きりい ただお、1932年4月[1] - 1978年4月8日)は、社会運動家。

1955年九州大学経済学部卒業。親和銀行入行[1]。1956年親和銀行従業員組合結成[2]、初代書記長[3]。のち労働大学事務局次長、労働大学専任講師、日本・DDR友好協会連絡会議事務局次長。1978年4月8日、蜘蛛膜下出血のため死去[4]

著書[編集]

  • 『現代の労務管理』(篠藤光行坂本秀行共著、労働大学[労大新書]、1968年)
  • 『学習・反合理化・社会主義 第1巻 学習』(編、労働大学、1974年)
  • 『労働者の団結論』(労働大学[労大新書]、1979年)
  • 『資本主義のしくみ』(労働大学[労大ハンドブック]、1987年)

出典[編集]

  1. a b 木下純男編著『今後の金融機関はどうあるべきか』 日本金融通信社、1962年、162頁
  2. 大分銀行従業員組合十周年記念誌編集委員会編『組合十年のあゆみ』大分銀行従業員組合、1957年、52頁
  3. 親和銀行業務部編『親和銀行二十年――その走路をかえりみる』親和銀行、1960年、224頁
  4. 桐井忠夫『労働者の団結論』労大新書、1979年、209頁