松下政楠

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松下 政楠(まつした まさくす、安政2年(1855年) - 明治39年(1906年9月29日)は、明治時代男性松下幸之助の実父。

略歴[編集]

妻は松下とく枝。とく枝との間に長男・松下伊三郎、次男・松下八郎、3男・松下幸之助、長女・亀山イワ、次女・松下房枝、3女・松下チヨ、4女・松下ハナ、5女・有本あいの子宝に恵まれている。

明治32年(1899年)、米相場に手を出して失敗し、多額の借金を抱えたので、家族を連れて夜逃げし、和歌山市内に移住。ここで下駄屋を始めるが、素人商売のため成功しなかった。そればかりか明治33年(1900年)から明治34年(1901年)にかけて、幸之助を除く3人の子女が相次いで病死する不幸に見舞われる。下駄屋も倒産し、大阪に出稼ぎに出た。

明治37年(1904年)、幸之助を大阪の火鉢店で丁稚奉公させるように妻に手紙を送り、幸之助は大阪に奉公に出た。

しかし、子宝に恵まれながらも子の成長には本当に恵まれず、3女のチヨと4女のハナが明治39年(1906年)に相次いで病死。政楠も同年に51歳で病死した。