東名レース

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東名レースとは、1980年代に深夜の東名高速道路で行われていた違法ストリートレースである。雑誌などでは東名全開族などと名付けられていた。後のルーレット族や湾岸族のルーツともいえるものである。

概要[編集]

1970年代から始まった青山ゼロヨンが消滅し、行き場がなくなった若者たちが次に選んだのが東名高速道路であった。その中でも海老名SAから東京料金所までの約30kmが舞台となっていた。もともと関東圏の走り屋が深夜に最高速トライに挑んでいた区間であったとされている。

当時は現在のようなハイパワー車は少なく、国産車であれば日産・フェアレディZ(S30)やマツダ・RX-7(SA22C)などが、輸入車であればポルシェなどが持ち込まれていた。それもノーマル状態ではなく、エンジンなどに手を加えたチューンドカーとして走っていたものである。これらのクルマは海老名SAに200台近く集まっていたとされ、現在の大黒PAのような様相を呈していたという。

深夜の東名高速は青山から移った走り屋たちが合流したことで異様な盛り上がりを見せており、バスストップや路肩にギャラリーがあふれかえる事態となっていた。また、全盛期には中央分離帯にまでギャラリーが現れる事態となっており、いつ事故が起きてもおかしくない状況であった。案の定ギャラリーを巻き込んだ大きな事故が発生し、事態を静観していた警察も取締強化に踏み切って自体は沈静化していった。

その後[編集]

青山から東名に移ったように、走り屋たちは東名から首都高速湾岸線(湾岸族)や首都高速中央環状線(ルーレット族)にその場を移した。また、合法的な最高速トライを求めて日本自動車研究所のつくば研究所にあった高速周回路(通称「矢田部」と呼ばれるテストコース)に主戦場を移すチューナーやショップも多かったとされている。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]