村山敏勝

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村山 敏勝(むらやま としかつ、1967年 - 2006年10月11日)は、英文学者。成蹊大学文学部助教授。専門は批評理論、セクシュアリティ論、英文学[1]

経歴・人物[編集]

1994年筑波大学文芸言語研究科博士課程中退[2]。2005年「(見えない)欲望へ向けて : クィア批評との対話」で博士(文学)(筑波大学)[3]成蹊大学文学部助教授を務めた。初代事務局長として日本英文学会関東支部の設立に携わった。2006年10月11日に急逝[4]。享年38歳[5]。「病に倒れて重篤」な状態になり、「数日後に還らぬ人」になってしまったという[6]

竹村和子とともに日本におけるクィア批評の先駆者、紹介者として知られる。ポストモダン系のセクシュアリティ研究、レズビアン/ゲイ研究の著作の翻訳が多数ある[6]。主著は博士論文を基にした『(見えない)欲望へ向けて――クィア批評との対話』(人文書院、2005年)。イギリス文学の古典とスラヴォイ・ジジェクジュディス・バトラージョアン・コプチェクレオ・ベルサーニの理論を通してクィア批評を論じている。版元品切れになり古書価が高騰していたが、2022年にちくま学芸文庫の1冊として復刊された。

アカー(動くゲイとレズビアンの会)の勉強会のためにデイヴィッド・M・ハルプリン『聖フーコー』の翻訳を準備稿段階で提供したり、アカーを訪れる海外からのアクティビストや研究者の通訳を務めたりするなど、ゲイ/レズビアン運動への支援を惜しまなかった[7]。社会学者の河口和也は「アカデミズムに身を置く研究者として、アクティヴィズムに対して「敬意」という距離を置きつつ、それでも斜めからの支援に注力してくれた。そうした関与をとおして、村山さんは九〇年代から二〇〇〇年代にかけて、アカデミズムとアクティヴィズムの架橋という役割を果たしてくれていたのだろう」と評している[6]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『(見えない)欲望へ向けて――クィア批評との対話』(人文書院、2005年/筑摩書房[ちくま学芸文庫]、2022年。解説:田崎英明)

編著[編集]

  • 『からだはどこにある?――ポップカルチャーにおける身体表象』(日比野啓三浦玲一、吉原ゆかり共編著、彩流社[成蹊大学アジア太平洋研究センター叢書]、2004年)

訳書[編集]

  • D.A.ミラー『小説と警察』(国文社、1996年)
  • デイヴィッド・M・ハルプリン『聖フーコー――ゲイの聖人伝に向けて』(太田出版[批評空間叢書]、1997年)
  • ジョアン・コプチェク『わたしの欲望を読みなさい――ラカン理論によるフーコー批判』(梶理和子、下河辺美知子、鈴木英明共訳、青土社、1998年)
  • マイク・デイヴィス『要塞都市LA』(日比野啓共訳、青土社、2001年、増補新版2008年)
  • ジュディス・バトラー、エルネスト・ラクラウ、スラヴォイ・ジジェク『偶発性・ヘゲモニー・普遍性――新しい対抗政治への対話』(竹村和子共訳、青土社、2002年、新装版2019年)
  • マーク・シェル『地球の子供たち――人間はみな〈きょうだい〉か?』(荒木正純、橘亜紗美共訳、みすず書房、2002年)
  • ジョアン・コプチェク『〈女〉なんていないと想像してごらん――倫理と昇華』(鈴木英明、中山徹共訳、河出書房新社、2004年)
  • スーザン・バック=モース『テロルを考える――イスラム主義と批判理論』(みすず書房、2005年)
  • トニー・マイヤーズ『スラヴォイ・ジジェク』(青土社[シリーズ現代思想ガイドブック]、2005年)
  • E.W. サイード『人文学と批評の使命――デモクラシーのために』(三宅敦子共訳、岩波書店、2006年/岩波書店[岩波現代文庫]、2013年)

出典[編集]

外部リンク[編集]