朱 符(しゅ ふ、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家で交州刺史[1]。父は朱儁[2]。
揚州会稽郡の出身[1]。多くの同郷人を支配下各地の長にして暴政を布いたため、人民の恨みを買って各地で反乱や暴動が相次いだ[1]。さらに異民族の反乱も起こり、朱符は交州から逃亡しようとしたが逃げ切れずに殺された[1]。