木下藤吉 (新撰組)

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木下 藤吉(きのした とうきち、? - 慶応4年8月22日1868年10月7日))は、新選組の隊士。

生涯[編集]

慶応4年(1868年8月21日に旧江戸幕府軍が明治政府軍に母成峠で敗れて会津藩の城下である会津若松城へ敗走した際、翌日の城下の宿泊者名簿に隊長付士官として記録がある[1]。『戦友姿絵』では母成峠で戦死とあるため、先の戦いで負傷した際に宿屋に搬送されて死亡した可能性が指摘されている。(可能性であり事実かどうかは根拠が不十分で不明)

脚注[編集]

  1. 相川司 『新選組隊士録』新紀元社、2011年、390頁

参考文献[編集]