望月宗明
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望月 宗明(もちずき むねあき、1922年 - )は、日本の労働運動家、教育評論家。元日本教職員組合(日教組)情宣局編集部長[1]。筆名は立川洋(たちかわ ひろし)、江川洋(えがわ ひろし)、土屋達男(つちや たつお)、沢田文明(さわだ ふみあき)[2]、岡牧夫(おか まきお)[3]。
略歴[編集]
山梨県甲府市生まれ。1942年明治学院専門学校在学中、治安維持法違反で検挙。1947年復学卒業。週刊教育新聞社に入社。1949年の『週刊教育新聞』の日教組移管に伴い[4]、以後は『教育新聞』(1951年『日教組教育新聞』に改題)、『教育評論』の編集に当たる[5]。40数年間日教組の情宣部書記を務めた[6]。1973年時点で国民教育研究所特別所員[5]。1980年時点で日教組情宣局編集部長[7]。
著書[編集]
- 『日教組の歴史――風雪の日々に(上・下)』(合同出版[合同新書]、1966-1967年)*沢田文明名義
- 『日教組20年の闘い』(労働旬報社[労旬新書]、1967年)
- 『日本の婦人教師――その変革の歩み』(労働旬報社[労旬新書]、1968年)
- 『現代日本女子教育文献集 15 日本の婦人教師』(日本図書センター、2004年)
- 『教育労働運動――その総括と展望』(社会新報、1970年)
- 『現代史のなかの教師』(毎日新聞社、1973年)*岡牧夫名義
- 『勤評闘争』(労働教育センター[労働運動実践叢書]、1976年)
- 『教師たちはいま――教育の荒廃と教育労働者』(労働教育センター、1976年)
- 『日教組はいま』(労働教育センター、1977年)*江川洋名義
- 『闘う教師たち――日教組三十年小史』(労働教育センター、1978年)
- 『教育労働者の教宣活動――職場新聞・機関紙づくり』(労働教育センター、1979年)
- 『日教組とともに――ぼくの戦後30年』(三一書房、1980年)
- 『いまなぜ日教組か――一つの社共代理戦争』(三一書房[三一新書]、1981年)*立川洋名義
- 『日本の女教師――その戦後の歩み』(三一書房[三一新書]、1984年)
- 『日教組抗争のウラの裏――前日教組情宣局編集部長の手記』(毎日新聞社、1988年)
共編著[編集]
- 星野安三郎、海老原治善共編『資料戦後教育労働運動史』(労働教育センター、1979年)
- 矢倉久泰共著『教師という職業』(三一書房[三一新書]、1979年)
出典[編集]
- ↑ 日教組抗争のウラの裏 / 望月 宗明【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
- ↑ 日外アソシエーツ編『日本著者名・人名典拠録』日外アソシエーツ、1989年
- ↑ CiNii Books 著者 - 岡, 牧夫
- ↑ 沢田文明『日教組の歴史――風雪の日々に(上・下)』合同出版[合同新書]、1966-1967年
- ↑ a b 岡牧夫『現代史のなかの教師』毎日新聞社、1973年
- ↑ 「教え子を再び戦場に送るな」採択50周年を迎えて 大阪教育文化センター
- ↑ 望月宗明『日教組とともに――ぼくの戦後30年』三一書房、1980年
関連項目[編集]
関連文献[編集]
- 国際女性学会編『<女と仕事>の本 1 (1945-1974)』勁草書房、1985年
- 日外アソシエーツ編『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年