最弱の三冠馬

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最弱の三冠馬は、最強馬論争において最弱と扱われる三冠馬のことである。

概要[編集]

競馬民の間ではよく競走馬の強さを比較する。それは直接対決の有無は関係なく、時には多くく世代を超えて比較することも珍しくない。それは三冠馬であったとしても例外ではなく、最強を決める議論が行われる[1]

しかし、議論を行う際に最弱を決めようとする場合も少なくない。三冠馬となると比等頭数が限られることから明確に決めようとする傾向が強い[1]

ミスターシービー[編集]

ミスターシービーは1983年に三冠競走を制してシンザン以来19年ぶりの中央競馬史上3頭目の三冠馬となった競走馬である[2]。後方からの鮮烈な豪脚による追い込み馬で[1]、特に菊花賞での後方からの早仕掛けで制した捲りは印象的である[2]。しかしながら最弱の三冠馬と扱われることが多い[注釈 1][1]

その理由の一つとして、1984年に無敗で三冠を達成したシンボリルドルフの存在である。三冠競走はそれぞれ条件が異なることから達成が困難で、三冠馬同士の現役期間が重なることは考えにくい[注釈 2]。しかし、ミスターシービーとシンボリルドルフは1年差で戦う機会が3度あったが、その全てがシンボリルドルフの後塵を拝する結果に終わった[注釈 3][1]

古馬で低迷した理由としては、蹄が薄く他馬と比べて弱かった。それ故に蹄鉄を留める釘を打てる箇所も少なく、打ち替えの度にに蹄が炎症を起こして傷付いていた[3]。そのため蹄鉄の打ち替えを減らすために常にレース用の蹄鉄を使用していた[注釈 4]。また、レース用の蹄鉄も球節も球節に異常をもたらす恐れがあったことから、後にシービー鉄と呼ばれる改良した蹄鉄を使用して見事三冠を達成するも、5・6本の釘で止めていたことから容易にズレて痛みを与えてしまう弱点があった。そのため頻繁な打ち替えが必要であったが、蹄が薄いため釘を打つたびに神経を刺激され、ミスターシービーは常に痛みと隣り合わせの状態であった[4]

脚部不安は常にミスターシービーの競走生活に付きまとった。1983年、菊花賞に備えて夏場を美浦で過ごしていたが、その際に挫跖を起こして秋の始動戦の予定が狂う事態となった。1984年は蹄の状態が悪化したことから菊花賞から1年近く休養することにになった[4]ジャパンカップ以降は蹄底が常に血豆できるようになり、再発を繰り返して引退まで直ることはなかった[5]

コントレイル[編集]

コントレイルは2020年に史上8頭目の三冠馬となり、父ディープインパクトと親子で無敗の三冠馬を達成達成した[6]。だが、三冠達成後は勝ち切れない競馬が続いてしまった[1]

三冠馬3頭が揃った2020年ジャパンカップでは、アーモンドアイに敗れて2着。初の敗北の味を噛み締めることになる[7]

翌2021年は大阪杯に出走するも、当時GⅠ未勝利馬であったレイパパレに引き離された上に、同じくG1未勝利馬のモズベッロにも交わされて3着[8]。短距離馬のグランアレグリアには先着したが、無敗の三冠馬としてはどうなのかという疑問符が付く負け方であった[1]

その後は宝塚記念を予定していたが[9]、大阪杯の疲れが取れないとして回避[10]。この時の報道が「使おうと思えば使える」であったことから競馬民の怒りは爆発。クロノジェネシスらから逃げたという風潮が出ていた[1]。「同世代でしか勝てない」や「世代弁慶」というレッテルが貼られて、競馬関係者からも史上最弱の三冠馬と揶揄されても仕方ないという論説がでていた[11]

天皇賞(秋)では東京芝2000mという条件が得意分野であると期待されて久々の勝利なるかと思われたが[1]、先んじて抜け出していた当年の皐月賞馬エフフォーリアに並ぶこともできずに1馬身差の2着[12]。エフフォーリアは東京優秀で負けて三冠どころか二冠すら達成できておらず、そのエフフォーリアに無敗の三冠馬であるコントレイルは完敗。古馬混合GⅠを勝利することができないまま3連敗となり、最弱の三冠馬という言葉がコントレイルの固有名詞となる恐れすら出てきてしまった[1]

幸い引退レースのジャパンカップでは同期の青葉賞馬であるオーソリティを下して優勝して、ジャパンカップで始まった連敗をジャパンカップで終わらせた[1]

なお、現役時代には脚部不安という情報しか出回っていなかったが、大阪杯後に繋靭帯炎を発症していたことが判明している。これを陣営が宝塚記念の際に公表していれば、クロノジェネシスから逃げた等の悪評は流れることはなかったの思われるが、理由は不明である[注釈 5][1]

セントライト[編集]

競馬民の考えの一つとして後の時代の馬の方が強いとされ、その考えに基づくと最弱に当たるのは初代三冠馬であるセントライトとなる。実際に当時の血統や技術は劣っており、セントライトが最弱という評価には一定の妥当性がある。ただし、セントライトが達成した当時の環境で後世の三冠馬たちがセントライトに勝てるかは別問題である[注釈 6][1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 後述のコントレイルが出でくるまでは最弱の三冠馬といえばミスターシービーという状態であった。
  2. その為、三冠馬の比較はたいてい競馬民の想像となる。
  3. また、古馬では天皇賞(秋)の1勝のみで、他はGⅡ競走ですら勝っていない
  4. 当時は調教とレースで蹄鉄を使い分けるのが常識であった。
  5. コントレイルの種牡馬価値の低下を恐れたという説がある。
  6. 後世の三冠馬の脚部不安などを考慮すると故障の恐れもある。

出典[編集]

  1. a b c d e f g h i j k l m 最弱の三冠馬(リビジョン3252630)” (日本語). ニコニコ大百科 (2024年2月2日). 2024年4月19日確認。
  2. a b ミスターシービーがシンザン以来19年ぶり3冠 常識くつがえす最後方から強襲/菊花賞』 日刊スポーツ、1983年11月14日
  3. 江面弘也・村本浩平「常識破りの追い込みでファンを魅了した三冠馬 ミスターシービー死す!」、『優駿』2001年2月号、中央競馬ピーアール・センター、2001年、 36-47頁。
  4. a b 井口民樹「サラブレッド・ヒーロー列伝 レース編 - ミスターシービーの三冠 19年ぶりの夢(上・下)」、『優駿』1996年10月・11月号号、中央競馬ピーアール・センター、1996年、 90頁。
  5. 『忘れられない名馬100 関係者の証言で綴る、強烈な印象を残してターフを去った100頭の名馬』 学研ホールディングス〈Gakken Mook〉、1996年。ISBN 4056013926
  6. 「全レースプレーバック 菊花賞」『週刊Gallop臨時増刊 コントレイル無敗3冠』 産経新聞社、2020年、3-14頁。
  7. 石田敏徳 「コントレイル 難敵を前にした完全燃焼」『優駿』2021年1月号、中央競馬ピーアール・センター2020年、36-39頁。
  8. 第65回 大阪杯 レース結果回顧払戻”. JRA-VAN. JRAシステムサービス株式会社. 2021年11月19日確認。
  9. コントレイル近日放牧へ 宝塚記念が目標”. スポニチ Sponichi Annex(2021-04-06)、2021-04-07確認。
  10. コントレイルが宝塚記念を回避/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online (2021年5月30日). 2024年4月19日確認。
  11. 坂井豊吉. “JRA コントレイル「最弱三冠馬」のレッテル回避へ崖っぷちのラスト2戦……天皇賞・秋、ジャパンCで示したい最後の威厳”. GJ | 真剣勝負の裏にある真実に斬り込むニュースサイト. 2024年4月19日確認。
  12. 「重賞プレイバック2021 vol.10 第146回天皇賞(秋)(GI)」『優駿』2021年12月号、中央競馬ピーアール・センター、25-26頁。