旧東京音楽学校奏楽堂
旧東京音楽学校奏楽堂(きゅうとうきょうおんがくがっこう そうがくどう)は東京音楽学校の校舎として、明治23年(1890年)に建造された音楽ホールである。「日本最古の洋式音楽ホール」である[1]。 2階の音楽ホールは、瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った会場である。現在は、財団法人台東区芸術文化財団が運営している。
概要[編集]
明治23年(1890年)5月に旧東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の講堂兼音楽ホールとして建てられたもので、設計は文部省技師の山口半六と久留正道が、音響設計は上原六四郎が担当したとされている。構造は、木造総2階建棧瓦葺の中央家と翼家から構成され奏楽堂は中央家2階にあった。かまぼこ型の中央天井、床下や壁面に藁束などを入れて音響、遮音等の効果を図る等の工夫が凝らされ、音響効果には定評がある。由緒ある奏楽堂も、昭和47年に老朽化のため、愛知県の博物館明治村への移転話が持ち上がるが、長年にわたる音楽の歴史的舞台を上野に残そうという努力が実り、昭和62年(1987年)3月に現在地に移築の上保存され、上野の森に明治時代のままの姿をとどめるている。
1898年(明治31年)から定期演奏会が始まっている。第1回は滝廉太郎がバッハの曲をピアノ独奏した。奏楽堂は1929年(昭和4年)に日比谷公会堂ができるまで日本で唯一の音楽専門ホールであった。1972年(昭和47年)、大学は新ホールを建てるため、解体し愛知県犬山市の明治村に移築することを決めたが、OBの音楽家や建築家がこれに異議を唱えて保存運動が起きた。作曲家の黛敏郎、芥川也寸志らの尽力で1982年(昭和57年)、地元の台東区が上野公園内に移築保存することにより解決した。
沿革[編集]
- 1890年(明治23年)、東京音楽学校のコンサートホールとして建築された。
- 1924年(大正13年)11月、ドイツ人教師グスタフ・クローンの指揮によりベートーベンの「第9交響曲」全曲が本邦初演される。
- 1965年(昭和40年)頃、建物の老朽化が目立つようになる。
- 1983年(昭和58年)、台東区へ建物を譲渡される。
- 1984年(昭和59年)、台東区は解体修理を始める。
- 1987年(昭和62年)、校舎を移築・復原し、「旧東京音楽学校奏楽堂」として一般への公開を開始した。
- 1988年(昭和63年)1月、国の重要文化財に指定される[2]。
- 2013年(平成25年)4月から、保存活用工事のため休館。建物内外部の補修工事、塗装工事などの現状修理のほか、耐震補強工事を行い、十分な安全対策を講じるとともにセキュリティ機能の向上や老朽化した設備機器の更新を開始した。
- 2018年(平成30年)11月1日、旧東京音楽学校奏楽堂リニューアルオープン記念式典が行われた。
基本事項[編集]
- 名称:旧東京音楽学校奏楽堂
- 所在地:東京都台東区上野公園8番43号
- 交通:JR・東京メトロ上野駅から徒歩10分、京成本線京成上野駅より徒歩15分。
- 竣工:1890年(明治23年)5月
- 設計:山口半六、久留正道
- 音響設計:上原六四郎
- 構造形式:木造、建築面積785.4m2、二階建、玄関ポーチ付、桟瓦葺(左右両翼家の内中央家に接続する階段ホール以外の内部を除く)
- ホール - 客席338席(梁行16.4m、桁行26.4m)
- パイプオルガン:日本最古級コンサート用オルガン(1928年(昭和3年)、徳川頼貞より寄贈)
- 指定:重要文化財
- 指定年月日:1988.01.13(昭和63.01.13)
- 公開日:日・火・水 9:30~16:30 (木金土曜日はホールの使用がなければ公開)
- 休館日:月曜日(月曜日が祝休日にあたる場合は翌平日)
- 休館:年末年始(12月29日から1月3日まで)、特別整理期間
外部リンク[編集]
- 旧東京音楽学校奏楽堂文化財オンライン
- 旧東京音楽学校奏楽堂台東区
参考文献・注釈[編集]
- ↑ 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財)国指定文化財等データベース
- ↑ 旧東京音楽学校奏楽堂