ジャパノイズ
ジャパノイズ(Japanoise/Japanoize)は、日本のノイズミュージックアーティストに呼ばれる。海外発祥の言葉である。本項目は、日本のノイズミュージックの歴史についても詳述。
起源[編集]
日本のノイジシャンは1964年からすでに50年以上の伝統を持っている。2024年で60年に達する。現在もノイズミュージックを作曲したり演奏したりするアーティストは滅んでいない。
起源は1964年にまで遡ることができる。1950年代以前に「騒音芸術」が展開されていたかどうかを調べることは、証拠が揃っておらず大変難しい。かつて九州地方で一世を風靡した美術集団「九州派[1]」については、彼ら自身が美術家であると認識していたため、音楽家の芸術ではない。1950年代に騒音の芸術を主張していた人物が皆無であったと断じることは、できない。
しかし、1960年に「草月コンテンポラリー・シリーズ」が始められると、確実に部分的にでも騒音芸術が参照された楽曲が次々と生み出されていった。まだノイズミュージシャンという用語は存在しておらず、一律に「現代音楽の作曲家」と呼ばれていた。
おそらく、日本で最初の騒音芸術が展開されたのは、草月アート・センターで1964年5月29日[2]に行われた「ナム・ジュン・パイク作品発表会」である[注釈 1]。笑み[3]を浮かべたナム・ジュン・パイク[注釈 2]は舞台の上のアップライトピアノに蹴りを食らわし破壊した。それまでは楽譜の上に騒音効果が示されるか、ピアノが延々とトーン・クラスターを奏でるかの二択でしかなかったのに対して、ナム・ジュン・パイクは発表会全編を騒音にしたのである。これが「日本初のノイジシャン誕生」であった。
もちろんのことであるが、ジョン・ケージやナム・ジュン・パイクの展開した騒音芸術がブラヴォーの嵐で迎えられたわけでは全く無く、東京藝術大学を含むアカデミアは冷ややかであった。東京の騒音を含む芸術はアカデミアからも不評であったばかりか、「ひるのプレゼント」に出演した灰野敬二の歌唱内容に対してNHKのプロデューサーが降格するなど、まだまだほとんどの日本人にとっては縁遠いものであった。日本人のノイズミュージシャンが世間的認知を受けだすのは、1980年にヒカシューがNHK「600 こちら情報部」へ出演したころである。
1990年代の爆発的な大衆への認知までに30年が費やされた。アルケミーレコードはちょうど1994年で創立10年であった。
日本と騒音[編集]
ピアノ[編集]
1957年には八村義夫の「ピアノのためのインプロヴィゼーション[4]」が作曲されている。当時のヨーロッパとアメリカでは和声の拡張としてのトーン・クラスターが認められつつあったため、八村の作品にも普通に登場はするものの、「騒音芸術」といった類にまでは踏み込んでいなかった。
12不等分律のピアノから三和音を帯状に積み重ねる[5]だけでも部分音や騒音が発生することは既にヨーロッパでは知られていたが、日本のピアノ業界で騒音が発生することが知られたのは「ジョン・ケージ・ショック[6]」の頃ではないかと推察される。デイヴィッド・チューダーはカールハインツ・シュトックハウゼンの Klavierstück X[注釈 3]を生演奏し、トーン・クラスターを無慈悲に叩きつけた。1960年代には「ピアノの騒音」について東京の非常に少ない聴衆だけが認知していたはずである。
ピアノの騒音は、ピアノ教育[7]が大衆化したことに伴い1970年代[8]に入ると現代音楽を離れた。山下洋輔の炎上ピアノ1973の頃には、既にピアノをげんこつで叩く、ピアノを足で弾く[9]などの行為は漫画やアニメなどでおなじみの表現になっていた。1978年に入ると水曜スペシャル川口浩探検隊シリーズなどで、ピアノの雑音を使った音響効果(いわゆる音効さん)の会社の仕事はもう認められていた。フリージャズが流行りきった頃には、ピアノの雑音について一定の大衆の理解があったと考えるべきである。
ピアノの騒音は2010年代に入っても時折[10]部分的に用いられることがあったものの、1970年代からドラマや映画で散々クリシェとして消費されたことに伴い映像業界ではあまり使われなくなってきている。
ヴァイオリン[編集]
ピアノは騒音の創出が比較的容易であったことも含めて極めて早い段階で騒音芸術の華として流布されたが、ヴァイオリンは楽器が高価であることと中国製の1万円ヴァイオリン[11]が普及していなかったことが大きく、ヴァイオリンのノイズ奏法で世に出たのは小杉武久だけであった。
反社会性と日本のノイジシャン[編集]
ノイズミュージックは、その音圧の大きさから反社会性と隣合わせであった。奇しくも少年の犯罪検挙人数がピークになった翌年アルケミーレコードが誕生している[12]。
強烈な音圧をすべて山崎マゾ個人の責任に帰したMASONNAは海外でも純粋に評価が高かったものの、数々の反社会性および反倫理性行為で知られたハナタラシは2023年の日本ではほぼ出禁が命じられるレヴェルの行動であるばかりか、サイキックTVから苦言を呈されるほどであった。しかし、音楽家の人権が今ほど守られていなかった1990年代末までは、反社会的行為を売りにするミュージシャンは全く以って珍しくなかった。
ザ・ゲロゲリゲゲゲによる『昭和』のように天皇制をネタにしたノイズ・アーティストは少なかったが、それまでにJamやHEAVENの編集長で知られる高杉弾も天皇制をネタにしていた。劇団ゴキブリコンビナートや月蝕歌劇団など、アングラ芸術はまだ1990年末の日本では有効であったため、月刊漫画ガロでも盛んに紹介された。これらが「オタク芸術」に取って代わる頃には反社会性を掲げるアーティスト[13]が存在はしていても、減少していった。
ノイズミュージックが反社会的行為を離れ、純粋に音響の芸術として高める動きが活発化したのは、1990年にRRRecordsから「暴力温泉芸者」名義でマゾンナとのスプリットLPをリリースした中原昌也[注釈 4]の出現からである。現在中原は作家として精力的に活動しているが、デビューはノイジシャンとしてであった。若干19歳で作曲された数々のテイクの内容[14]は、1980年代のノイズミュージックの伝統をまだ守っていたMASONNAとは一線を画するものであった。すでに1990年の時点でハナタラシは活動を停止していた。1970年生まれの日本人から、ノイズミュージックは反社会性行為やポルノグラフィーと隣合わせの芸術ではなくなり、雑多な音響素材の引用として表現されることが増えていった。引用芸術は国境を既に超えていた[15]。
1990年代に彗星のようにデビューしたC.C.C.C.や1980年代の反社会性行為をむき出しにしたノイジシャンの生き残りが「結婚」した形となって、海外では1990年代に活躍したアーティストをジャパノイズと呼んだ。1990年代に入るとNamba BEARSにも数々のノイジシャンが出現したため、関西でもノイズ熱が高まった。
秋田昌美は2005年に「わたしの菜食生活」を出版[16]し、動物への暴力を全否定した。2001年にザ・ゲロゲリゲゲゲは活動を一旦停止したことに加え、ノイズの大御所が動物への暴力を反対したことの影響は大きく、2000年代から反社会性行為が日本のノイジシャンの間で一旦は流行らなくなっていった。山崎マゾは体調を崩しShock Rock (2002)を最後にリリースを停止した。
しかし、「大音量」をいつでも駆使し得るジャンルであることから反社会的行為への欲望はやはり収まらず、BiS階段などの「ノイズのコラボ化」とほぼ同時期にシモン・ステン=アナーセンがピアノを8Mの高さから落とす映像と音響をコラージュした「ピアノ協奏曲(2014)」を発表。全世界的に反社会的行為がヨハネス・クライドラーに集ったコンセプチャル後継者とともにリバイバルし始めた。ザ・ゲロゲリゲゲゲは活動を再開し、現代音楽の作曲家[17]も騒音的表現をためらうことなく使うようになった。
年表[編集]
西暦 | 結成アーティスト | 主なリリース | 主な出来事 |
---|---|---|---|
1964年 | 5月29日 白南準作品発表会でナム・ジュン・パイクがアップライトピアノ破壊作戦を決行。 | ||
1970年 | 7月9日 高柳昌行、阿部薫 集団投射 於・渋谷ステーション70 | ||
1971年 | ・ロストアラーフ | ||
1977年 | FOOL'S MATE創刊 | ||
1979年 | ・非常階段
・不失者 |
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1980年 | ・NORD | ||
1981年 | ・INCAPACITANTS
・大友良英 |
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1982年 | ・非常階段『蔵六の奇病』 | ||
1984年 | ・ハナタラシ
・SOLMANIA |
・JOJO広重、アルケミーレコード設立 | |
1985年 | ・ザ・ゲロゲリゲゲゲ | ・ハナタラシ『Hanatarash 2』
・高柳昌行『ACTION DIRECT』 |
・8月4日 ハナタラシ、いわゆるユンボ会場破壊剣便投擲未遂ライヴ 於 都立家政スーパーロフト |
1986年 | ・サイキックTV来日 | ||
1987年 | ・MASONNA | ・ザ・ゲロゲリゲゲゲ『SENZURI CHANPION』 | ・銀星倶楽部 『ノイズ・ミュージック』特集 |
1988年 | ・ザ・ゲロゲリゲゲゲ『昭和』 | ||
1989年 | ・C.C.C.C. | ・Merzbowヨーロッパツアー | |
1990年 | ・ザ・ゲロゲリゲゲゲ『パンクの鬼』 | ・Merzbowアメリカツアー | |
1991年 | ・AUBE
・MONDE BRUITS |
||
1992年 | ・ガバメント・アルファ
・MSBR |
・MSBR『ULTIMETE AMBIENCE』 | ・秋田昌美著 『ノイズ・ウォー 』刊行 |
1993年 | ・V.A.『EXTREME MUSIC FROM JAPAN』 | ・C.C.C.C.アメリカツアー
・MASONNAアメリカツアー | |
1994年 | ・Merzbow『Veneleology』 | ・関西テレビ『精神解放ノ為ノ音楽』 | |
1995年 | ・KILLER BUG | ||
1996年 | ・Astro | ・Merzbow『Pulse Demon』 | |
1997年 | ・PAINJERK『GALLON GRAVY』
・暴力温泉芸者『座敷女』 |
・電子雑音創刊 | |
1999年 | ・EATER『ノイズ・ジャパン』特集
・THE HATERS来日 | ||
2000年 | ・ROBOCHANMAN『STRUGGLE DIVER』 | ・STUDIO VOICE 2000年3月号 Vol291 『ADDICTED TO NOISE テクノの果て、ノイズの彼方』
・スリップノット初来日のオープニングアクトにMASONNA出演 | |
2001年 | ・黒電話666 | ・GUILTY CONNECTOR『FIRST NOISE ATTACK!!!』 | |
2003年 | |||
2004年 | ・Bloody Letter | ||
2005年 | ・田野幸治(電子雑音編集長)死去 | ||
2007年 | ・LINEKRAFT | ||
2008年 | ・Kazuma Kubota | ||
2010年 | ・scum
・SPORE SPAWN |
・DOMMUNE開局 | |
2013年 | ・初音階段 | ・Kazuma Kubota 『Two of a Kind』 | ・あまちゃん放送
・FREE DOMMUNE ZERO ・ENDON、黒電話666・UK-フランス-スイスツアー ・持田保 『INDUSTRIAL MUSIC FOR INDUSTRIAL PEOPLE』刊行 |
2014年 | ・エレファントノイズカシマシ | ・ポール・ヘガティ『ノイズ / ミュージック― 歴史・方法・思想 : ルッソロからゼロ年代まで』刊行 | |
2015年 | ・WOLF CREEK | ||
2016年 | ・hiroyuki chiba | ・Kazuma Kubota、Kazumoto Endo・米フェスティバル招聘 | |
2018年 | ・CONTROLLED DEATH
・DSM-XXX |
・Spore Spawn、Kazumoto Endo・台湾ツアー | |
2019年 | ・moreru | ・moreru『Itsunohinikabokunokotowoomoidasugaii そして……[18]』 | ・Spore Spawn、Kazumoto Endo・スイス・フランス・ツアー
・黒電話666、YUKO ARAKI、shikaku・デンマーク-ドイツツアー ・黒電話666、Kazuma Kubota、shikaku・台湾ツアー |
2020年 | ・moreru『粛 粛』 | ||
2021年 | ・ANALSKULLFAKKU[19] | ||
2022年 | ・moreru『山田花子』 | ||
2023年 | ・moreru『l0V3L3$$R0BxT』 | ・灰野敬二、ロイ・リキテンシュタイン賞受賞[20] |
参考文献[編集]
- ONTOMO MOOK 音楽芸術別冊 日本の作曲20世紀 ISBN 4-276-96074-6 1999年7月1日発行
- 現代美術史日本篇 contemporary Art history: Japan 中ザワヒデキ Nakazawa Hideki ISBN 978-4-9902903-4-4
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 発表会当時は漢字表記の白南準を用いた。
- ↑ 日本初のノイジシャンはナム・ジュン・パイクではないという意見も見られる。しかし、パイクは日本占領下の朝鮮半島で生まれた後も日本に移住して日本語を解し東京大学を卒業しており、日本初のノイジシャンとして十分な業績のためこれを採用する。ナム・ジュン・パイクはその後アジアを離れアメリカ合衆国に渡ったため、日本と北朝鮮と韓国の評価が一時期下がったこともあった。
- ↑ ピアノ曲_(シュトックハウゼン)を参照のこと。
- ↑ 中原は『あらゆる場所に花束が……』で極限の暴力表現を文芸として提示したが、1990年に発表したスプリットLPの内容についてはTVなどの放送音源すらサンプリングした手腕が発揮されているためこの限りではない。
出典[編集]
- ↑ 現代美術史日本篇 p.18 2b九州派
- ↑ “《白南準(ナムジュン・パイク)作品発表会》(草月会館ホール)に参加 。”. www.art-c.keio.ac.jp. www.art-c.keio.ac.jp. 2023年6月26日確認。
- ↑ “ナムジュン・パイクがへらへら笑いを浮かべていきなりアプライト・ピアノを突き倒す”. www.suigyu.com. www.suigyu.com. 2023年6月25日確認。
- ↑ “ピアノのための即興曲オンデマンド版”. www.ongakunotomo.co.jp. www.ongakunotomo.co.jp. 2023年6月25日確認。
- ↑ フランツ・リスト 超絶技巧練習曲集から第4曲マゼッパ 1837年版
- ↑ “ジョン・ケージ生誕100周年記念!「ジョン・ケージ・ショック」リリース”. tower.jp. tower.jp. 2023年6月25日確認。
- ↑ “戦後日本の専門レベルでのピアノ教育を振り返る - J-stage”. www.jstage.jst.go.jp. www.jstage.jst.go.jp. 2023年6月25日確認。
- ↑ “催眠効果があるピアノのメロディにキャロンが・・・(c) 鈴川鉄久/ICHI”. www.amazon.co.jp. www.amazon.co.jp. 2023年6月25日確認。
- ↑ 映画実写版ドカベン 1977年
- ↑ “伝説のアニメ 見る抗うつ剤 作画崩壊 ダイナミックコード 1~3話 名'迷場面集”. www.youtube.com. www.youtube.com. 2023年6月25日確認。
- ↑ Hallstatt ハルシュタット ヴァイオリン V-12 4/4サイズバイオリンほか
- ↑ “少年の刑法犯検挙・歩道人員”. img-newsweekjapan.jp. img-newsweekjapan.jp. 2023年6月25日確認。
- ↑ “廃いゆー子さんが武蔵野美術大学で逮捕される記録”. www.youtube.com. www.youtube.com. 2023年6月25日確認。
- ↑ “Violent Onsen Geisha/Masonna - Split LP (RRRecords 1991)”. www.youtube.com. www.youtube.com. 2023年6月25日確認。
- ↑ “OVALことマーカス・ポップは、CDの盤面をマジックペンで汚してグリッチノイズを生み出す手法で知られるアーティスト。”. newspass.jp. newspass.jp. 2023年6月25日確認。
- ↑ “ベジタリアンの食材について”. merzbow.net. merzbow.net. 2023年6月25日確認。
- ↑ “山根明季子 @ environment 0g, osaka 2023/3/4”. www.youtube.com. www.youtube.com (2023年3月4日). 2023年6月25日確認。
- ↑ “itsunohinikabokunokotowoomoidasugaii そして……”. moreru.bandcamp.com. moreru.bandcamp.com. 2023年6月21日確認。
- ↑ “analskullfakkku”. www.instagram.com. www.instagram.com. 2023年6月21日確認。
- ↑ “灰野敬二が2023年度ロイ・リキテンスタイン賞を受賞。”. jazztokyo.org. jazztokyo.org. 2023年6月21日確認。