日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。
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日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。(ひいずる- しょを、にちぼつ- いたす。-)は、聖徳太子が書き隋の煬帝に対し小野妹子が送った手紙(の内容)。
煬帝激おこぷんぷん丸[編集]
色々あって推古天皇の摂政をしていた(この時既に最高位の人物)聖徳太子は遣隋使を派遣することとなった。その遣隋使船に乗っていたのが小野妹子である。妹子は命がけで煬帝のもとに届けたが、煬帝は「隋が日が沈む国とは無礼だ」と自国を批判的に書いているとしてこの内容を批評した(この後渋々日本と同盟結んだ)[1]。しかし、聖徳太子側はそのような意図はなく、隋と対等な関係を結ぶために書いたものであった。
結局小野妹子が取り成すことによって難を逃れた。
その後[編集]
煬帝から返書を受け取ることが出来たものの、完全に日本を格下に見た内容であった。隋との関係性が悪化することを恐れた小野妹子は、百済で紛失したことにして海に投げ捨てた。自分の身より、国の安泰を優先した素晴らしい人物である。
脚注[編集]
- ↑ 敵対勢力の高句麗に対抗する為、日本と結んだと考えられる