放光院殿(ほうこういんでん、? - 正保4年4月7日(1647年5月11日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。徳川氏の家臣・遠山為勝(景信)の娘。北条繁広に嫁いだ。慶長17年(1612年)6月の夫の死後も長命を保ち、正保4年(1647年)4月7日に死去。法名は放光院殿玉峰栄珍大姉。繁広には2男1女(長男:北条氏長、次男:無住宗本大居士、長女:修元院殿)がいるが、彼女の所生かどうかは不詳[1][2]。