惟新公関原御合戦記

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惟新公関原御合戦記(いしんこうせきがはらごかっせんき)とは、関ヶ原の戦いにおける島津惟新斎の動向についてまとめた史料である。

概要[編集]

著者・成立年代[編集]

著書の奥書に、成立は延享元年(1744年)10月18日。著者は薩摩藩の「御記録所」とあるので、薩摩藩の公的な編纂史料ということになる。なお、『惟新様御譜』や関ヶ原の戦いに参加していた島津氏の家臣の記録を参考にした、としている。

別称は『島津兵庫頭義弘関箇原陣始終大概之記』(しまづひょうごのかみよしひろせきがはらじんしじゅうたいがいのき)、『惟新公関原御合戦記』(いしんこうせきがはらごかっせんき)。

内容[編集]

全1巻だが、前編と後編に分かれている。

  • 前編 - 関ヶ原で島津義弘が西軍に属した経緯から、関ヶ原本戦での敗北と中央突破による戦場離脱、大坂に在住していた人質を救出して薩摩に帰国するまで。
  • 後編 - 関ヶ原の戦後処理における対徳川家康との外交折衝、島津忠恒伏見城に参上して家康に臣従を誓い、挨拶を遂げて薩摩に帰国するまで。

江戸時代中期に出来た史料であるためか、関ヶ原の際に西軍についたのは、石田三成からの圧力と大坂に人質がいたことから「やむなく」となっている。そのほか、伏見城の守備に向かおうとして鳥居元忠に拒否されたこと、義弘は家康と親しくて近侍しており、会津征伐の際には山科まで家康を見送ったことになっている。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]