志木妻子放火殺人事件

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

志木妻子放火殺人事件(しきさいしほうかさつじんじけん)とは、2008年に志木市で起きたと火災事件。検察が放火殺人事件として起訴したが、一審判決で無罪が言い渡された。

概要[編集]

2008年12月3日午前5時すぎごろ、埼玉県志木市中宗岡3丁目の民家で火災が発生。木造3階建て約100平方メートルが全焼して、3階で就寝中だったAとAの娘の次女Bが焼死体となって発見された。Aの息子Cは火災に気づいて脱出していて無事だった。長女は、火災当時は別居していた。

自宅を再現した燃焼実験の結果、自宅1階から2階に通じる階段付近が出火元の可能性が高いと判明。現場の状況から、漏電や電気系統のショート、暖房器具による出火の可能性は低いと判断して、放火殺人の疑いで捜査を開始。県警は、事件当日午前5時28分の通報を基点に捜査。火災当時Aの夫だったDは、火災発生時には仕事をしていて、火災が発生していたことを知ったのも勤務先だったと話していたが、現場検証や自宅を再現した燃焼実験などから、Dが自宅にいる時間帯に放火は可能と判断。D以外に放火が可能だったものはいなかったとして、2013年8月9日、埼玉県警朝霞署は殺人・殺人未遂・現住建造物等放火の容疑で、元夫のDを逮捕[1]。Dは、逮捕容疑を否認している。Dは、逮捕前の任意の捜査でも、外出していたと供述していたが、県警は具体性がないと判断した。

2008年8月、Dは家庭裁判所に妻との離婚調停を申し立てていたが、Aが調停に欠席するなどしており、同年11月には調停が取り下げている。DはAと結婚後に姓を妻のものに変えていたが、2009年3月ごろに元々の姓に戻している。2010年1月に、Dは事件前から交際していた妻と再婚。こうした経緯から、埼玉県警は離婚トラブルを視野に捜査を進めた。

2013年8月29日、さいたま地検は、Dを殺人、殺人未遂、現住建造物等放火の罪で起訴した[2]

裁判経過[編集]

検察側は、不倫相手と再婚するために「2人が逃げられないよう階段踊り場近くに放火した」と残忍な犯行を行ったと主張[3]。防犯カメラの映像などから出火時刻に自宅にいたとして被告を犯人だとしたが、計画性が高くないことから無期懲役求刑とした。

裁判では一貫して被告は無罪を主張。弁護側は、被告が出火前に家を出た可能性があると主張。「妻が精神疾患で火をつけたり漏電の可能性」を指摘して、無実だと主張した[4]。離婚も穏便に進めようとしており、殺害しようとした形跡はないとした。

2015年3月23日、さいたま地裁河本雅也裁判長)は、無罪判決(求刑・無期懲役)を言い渡した[5]。判決では、出火原因は放火と断定[6]。そして、防犯カメラ映像や燃焼実験結果から出火当時Dは外出していて、「放火は不可能だった」とした。検察側は判決を不服として控訴した[7]

2016年7月14日、東京高裁(植村稔裁裁判長)は、1審・さいたま地裁判決を破棄し、審理を地裁に差し戻した[8]。判決では一審で認められた燃焼実験結果の再現性を否定。妻が睡眠薬の影響などから眠っていた可能性が高いとして、妻が放火した可能性はないと検察側の主張を認めた。

殺人罪に対する裁判員裁判の無罪判決を二審で破棄したのは初[9]

脚注[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 2013年8月10日 読売新聞 朝刊33面「放火殺人 元夫を逮捕 埼玉県警 妻と娘 焼死させた疑い」