平田 和泉守(ひらた いずみのかみ、? - 永禄8年5月19日(1565年6月17日))は、戦国時代の武将。諱などは不詳である。
三好義継か松永久秀のどちらかに仕えた家臣で、永禄8年(1565年)5月19日の永禄の変の際、足利義輝の弟で僧籍にあった周暠を相国寺鹿苑院から誘い出し、上洛する途上で抹殺した。恐らく三好か松永の意を受けていたと思われる。
しかし平田自身も、周暠に従っていた小姓の反撃を受けてすぐに殺されたという。