岐阜信長歴史読本
『岐阜信長歴史読本』(ぎふのぶながれきしどくほん)は、日本の大手出版社・KADOKAWAが発行している、街歩きガイドブックである。
概要[編集]
岐阜市岐阜市が三重県、岐南町・笠松町が愛知県に属しているという新説[1]をはじめとして、竹中重治が臨済宗妙心寺派の僧侶[2]であり、沢彦宗恩が1564年(永禄7年)に斎藤達興の居城をのっとり、すぐに返却した[3]という歴史的新発見等が多数記載されている意欲的な書籍であり、マスコミも大変注目している[4][5][6]。
購入希望者が多数のため初版本はヤフオク等で定価より高く取引が行われており、KADOKAWAは急遽重版を決定した[7]
この画期的な研究は岐阜市が協力しており、研究の成果は岐阜市に所属するものと思われる[8]。また、今年は信長公岐阜入城・岐阜命名450年で大々的なプロジェクトを岐阜市が進めており、その一環のイベントとして新説発表が行われたものと思われる[9]。
主な新説[編集]
- 利にかなって
- おそらく新語。理屈に合っている場合は「理にかなって」を使用するが、自分にとって利益になる場合は「利にかなって」を使用するものと思われる。高橋英樹(俳優)へのインタビュー記事なのでKADOKAWAが提唱する新語なのか、高橋英樹が提唱する新語なのかは不明[10]。
- 事実実
- おそらく新語。事実を強調したいときに使用すると想定される。上記「利にかなって」同様に高橋英樹(俳優)へのインタビュー記事なのでKADOKAWAが提唱する新語なのか、高橋英樹が提唱する新語なのかは不明[11]。
- ジンギス・ハーン
- 通常「ジンギス・カン」もしくは「チンギス・ハーン」と記載するが、あえて『ジンギス・ハーン』という呼称を使用している[12]。
- 河原町手湯
- 地名に関する記載は「川原町」を使用しているが、手湯の写真に関する説明だけ『河原町』を使用しており、川原町にある手湯は「河原町手湯」が正式名称と思われる[13]。
- 永禄13年(1569)6月
- 定説では永禄は13年4月に元亀に改元されているが、『永禄13年(1569)6月に、信長の招きで岐阜城を訪れたフロイスとロレンソ修道士へも』(岐阜信長 歴史読本 p62 3段目 7-9行目引用[14])と記載されており、永禄から元亀への改元が4月で無かったこと、また1569年が永禄12年では無かったことを明らかにしている[14]。まさに「要出典」ものの新説である。
- 元文
- 織田氏と朝倉氏が、美濃斉藤氏を攻略したのは天文13年が定説であったが、『元文13年』という今までの歴史の通説に無い元号を使用している[15]。
- 縁籍
- おそらく新語。縁戚は血縁関係や婚姻関係等を指すのに対して、『縁籍』は戸籍謄本上に何らかの関係があることを指すと思われる。既に、戦国時代に戸籍制度が完備されていたことを示す画期的な新説である[16]。
- 金森頼綿
- 郡上藩主の「金森頼錦」の正式名称と思われる[17]。
- 永禄4年(1562年)
- 従来、永禄4年は1561年であった[18]。
- 六角承偵
- 南近江の豪族の「六角承禎」の正式名称と思われる[19]。
- 沢彦宗恩
- 臨済宗妙心寺派の僧侶であるというのが定説。新説では通称、半兵衛といい斉藤氏の家臣から織田氏の配下に加わり、羽柴秀吉の与力となり「軍師」として重用された[3]。
- 竹中重治
- 斉藤氏の家臣。不破郡岩手村菩提山城主で羽柴秀吉の軍師として活躍したというのが定説。新説では、臨済宗妙心寺派の僧侶で平手政秀から織田信秀の子息・織田信長の教育をして欲しいと依頼されてから織田氏との関係が出来たとされる[2]。前記の沢彦宗恩と竹中重治が入れ替わったような記述であるが、元来岐阜県では、人の入れ替わりは頻繁に発生していることが映画「君の名は。」でも証明されており、戦国時代版「君の名は。」と解釈すべきであろう。
- 土岐頼芸出生の秘密
- 誕生は文亀2年が定説。本文中は文亀元年と記載して既に新説を提唱している。しかし、見出しにはこっそりと天文2年と記載している。天文2年は1533年、文亀2年は1502年で有る。美濃国土岐氏の歴史の根本が覆ってしまう新説のため、こっそりと小出しに新説を提唱したと思われる[2]。
- 天正10年
- 天正は元亀の後で文禄の前の元号で有り、1573年から1592年(ユリウス暦)が定説。しかし天正10年(1628年)との新説を提唱している。1628年は定説では寛永5年であり、水戸光圀公が7月11日に生まれたことになっている[20]。
- 昭和4年
- 昭和は大正の後で平成の前の元号で有り、1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日までが定説。しかし昭和4年(1828年)との新説を提唱している。1828年は文政11年が定説であった。詳細が記載されていないので今後の研究成果が待たれるところであるが、昭和とはどういった時代だったのかを考えさせられる貴重な発見である[21]。
- 天正4年
- 定説では天正4年は1576年であるが、1575年と記載されている。天正10年についての新説とも辻褄が合わない新説である。おそらく、天正時代は時空の歪みが激しくタイムワープ等が頻繁に発生したものと思われる。アインシュタインが存命であれば、この問題に対する正解を即座に導き出してくれた可能性は高い[21]。
- 瑞龍寺の建立年
- そろそろ書く気も失せてきたが、応仁2年が定説。応仁元年は新説[22]。
- 岐阜市
- 従来岐阜市は岐阜県にあり岐阜県の県庁所在地であるというのが定説であった。しかし、地図上では三重県に所属している記載が有る。「岐阜県の県庁所在地はどこか?」「岐阜市以南は全て三重県か?」といった疑問は尽きないが画期的新事実である[1]。2017年2月15日現在、郵便番号は従来どおり岐阜県のままである[23]。
- 岐南町・笠松町
- 従来岐南町と笠松町は岐阜県であるというのが定説であった。しかし、地図上では愛知県に所属している記載が有る。「岐南町と笠松町は一宮市に併合されたのか?」「各務原市等の木曽川に面する岐阜県内の市町村はどうなっているのか?」といった疑問は尽きないが画期的新事実である[1]。2017年2月15日現在、郵便番号は従来どおり岐阜県のままである[24]。
- 鴨原城
- 定説では「鴫原城」。三河重原城の別名である[25]。鴨原城と書くことに対する言及が無いのが残念である。今後発売されるであろう歴史読本に期待したい[26]。
- 永禄9年
- 定説では永禄9年は1566年であるが、1556年と記載されていおり新説である。時空の歪みが激しくタイムワープ等が頻繁に発生したものと思われる。アインシュタインが存命であればこの問題に対する正解を即座に導き出してくれた可能性は高い[27]。
- 天正4年
- 定説では天正4年は1576年であるが、1575年と記載されていおり新説である。時空の歪みが激しくタイムワープ等が頻繁に発生したものと思われる。もしくはDr.エメット・ブラウンがデロリアン号でいたずらを仕掛けたとも考えられる。[28]。
- 天正7年
- 定説では天正7年は1579年であるが、1578年と記載されていおり新説である。上記天正4年同様に時空の歪みが激しくタイムワープ等が頻繁に発生したものと思われる。もしくはDr.エメット・ブラウンがデロリアン号でいたずらを仕掛けたとも考えられる。[29]。
判定不能なもの[編集]
- 玉性院
- 一般的には「ぎょくしょういん」と呼ばれているが、「ぎょくせいいん」と呼ぶ人もいないわけでは無い。(と思う。)[30]
- 廃グレードホテル
- ホテルのグレード感は人それぞれで有り、当該ホテルが『ハイ』か『廃』かは宿泊してみてはじめて分かることである。そういった意味では「廃グレード」との記載はKADOKAWAの勇み足との指摘を受けても致し方ないであろう[31]。
正しい表記なのに誤植と呼ばれているもの[編集]
- 鼻高ハイキングコースス
- 尾根伝いのハイキングコースなので、尾根の右と左をハイカーは歩いてお互いに道を譲る必要があり、コースは1つではなく、複数である事を説明するために複数形表現をしただけであり誤植では無い[32]。
- 徒歩15分?
- 歩く速度は人それぞれで有り、表記としては決して間違っていない[33]。
- ぎふ長良川温泉ホテルパーク電話番号問題
- 同ホテルの電話番号末尾1桁が欠落しているとの指摘もあるが個人情報保護法に基づき、あえて1桁削除したものと考えるのが妥当である[34]。
- 岐阜公園警備課
- 公式には岐阜公園整備課であるが、織田信長の居所で有った岐阜公園内には信長が南蛮から輸入した金銀財宝、新兵器等が埋蔵されている可能性が非常に高く、整備ではなく警備と表現する方が事実に即している[35]。
明らかな誤植[編集]
- 稲葉城
- 何か良い理由こじつけは無いものかと思案しましたが、出てきませんでした[36]。
- 僕らはみんな河合荘の連載開始号
- 唯一の致命的誤植。2010年8月号ではなく2010年6月号が正しい。アニメの聖地に対する冒涜行為に限りなく近い[36]。
圧力に屈したKADOKAWA[編集]
これ程の新発見を発表したのに対して、マスコミは一様に否定的であった[37][38][39]。おそらく、何らかの団体(歴史学会等)からの圧力があったものと思われるが、想像の域を脱しない。
当初は、正誤表を作成し希望者にのみ配布する事にとどめ、回収には応じないという最低限の抵抗を見せた[40]。しかし、残念なことにKADOKAWAは圧力に屈し謝罪文を発表した[41]。しかし、前出のとおりヤフオクにて定価以上で出品されている。これらの出品本まで落札して回収するのか成り行きが注目される。
改訂版発行[編集]
圧力に屈したKADOKAWAは2017年3月31日に改訂版を発行した。既存の購入者で「正誤表を送って欲しい。」等の連絡をKADOKAWAにしたものに対しては、再三にわたり「回収のお願い。」のメールが届く。ある読者は「正誤表を送って欲しいとお願いしただけで、改訂版を送って欲しいとお願いしたわけではない。しかも、送料を貴社が全額負担するとなると私はまるでクレーマーのような扱いを受けているような気がする。」といったしょーもない抵抗をしたが、この読者も結局はKADOKAWAに書籍を返却した。改訂版は3月31日に自宅に到着した [42]。
脚注[編集]
- ↑ a b c 岐阜信長 2017, p. 154.
- ↑ a b c 岐阜信長 2017, p. 122.
- ↑ a b 岐阜信長 2017, p. 121.
- ↑ 中日新聞 2017, p. 31.
- ↑ “岐阜市が三重”. 中日新聞 (2017年2月9日). 2017年2月14日確認。
- ↑ “岐阜市は三重県?”. 岐阜新聞 (2017年2月9日). 2017年2月14日確認。
- ↑ ““岐阜市は三重県に””. NHK (2017年2月9日). 2017年2月14日確認。
- ↑ “信長歴史読本を発行 岐阜市が編集協力”. 岐阜新聞 (2017年2月4日). 2017年2月20日確認。
- ↑ “2017年織田信長公岐阜入城・岐阜命名450年”. 岐阜市信長公450(よんごーまる)プロジェクト. 2017年2月20日確認。
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 25.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 28.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 29.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 32-33.
- ↑ a b 岐阜信長 2017, p. 62.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 71.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 73.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 97.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 119.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 120.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 123.
- ↑ a b 岐阜信長 2017, p. 125.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 148.
- ↑ “郵便番号検索 岐阜県>岐阜市”. 日本郵便株式会社. 2017年2月15日確認。
- ↑ “郵便番号検索 岐阜県>岐阜市”. 日本郵便株式会社. 2017年2月15日確認。
- ↑ “三河・重原城”. 城郭放浪記. 2017年2月15日確認。
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 182.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 183.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 184.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 185.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 155.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 174.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 127.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 152.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 177.
- ↑ 岐阜信長 2017, p. 186.
- ↑ a b 岐阜信長 2017, p. 135.
- ↑ “信長読本のミス 編プロ「校正で誤り指摘、反映されず」”. 朝日新聞 (2017年2月14日). 2017年2月16日確認。
- ↑ “信長本のミス、KADOKAWAが謝罪 出荷分は回収へ”. 朝日新聞 (2017年2月9日). 2017年2月16日確認。
- ↑ “「信長読本」誤植だらけ…岐阜を三重と表記など”. 読売新聞 (2017年2月9日). 2017年2月16日確認。
- ↑ “「信長読本」ミスだらけ 岐阜市は三重県?”. 岐阜新聞 (2017年2月9日). 2017年2月20日確認。
- ↑ “『岐阜信長歴史読本』における地名の誤りや誤表記に関するお詫びと交換対応のお知らせ(PDF)”. KADOKAWA (2017年2月10日). 2017年2月16日確認。
- ↑ “改定版 岐阜信長歴史読本”. KADOKAWA (2017年3月31日). 2017年4月6日確認。
出典[編集]
- 『岐阜信長 歴史読本』 石井久恵 編集協力:岐阜市教育委員会、岐阜市役所、岐阜市歴史博物館、株式会社KADOKAWA〈別冊歴史読本〉、2017年1月30日 発行、1st。ISBN 978-4-04-601840-3。
- “岐阜市が三重!? 笠松は愛知!?” (日本語). 中日新聞 (岐阜市内版: 中日新聞): pp. 31. (2017年2月9日)