山岡事件

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山岡事件(やまおかじけん)とは、1965年に発覚した中央競馬史上最大と言われる八百長事件である。名称は事件の中心人物であった騎手山岡忞に由来する。また後に天皇賞・秋、有馬記念を制したカブトシローを語る上で大なり小なり触れられることの多い事件でもある。

概要[編集]

1965年夏、日立建設機械で発生した横領事件に絡んだ恐喝事件で逮捕された暴力団構成員が取調べ中に中央競馬の騎手を抱き込んで八百長を仕組んでいたと自白した。

これを受け、警視庁日本中央競馬会は調査に乗り出し、騎手の山岡忞の他、暴力団員など2名が贈賄罪の容疑で逮捕送検され、更に騎手2名が同じく収賄罪の容疑で逮捕され、後日には別の騎手1名も八百長に関与していた事が発覚。4名の騎手はその後起訴されて有罪判決を受け、競馬法の規則により競馬関与禁止処分が下され、競馬界から事実上永久追放された。影響は中央競馬にとどまらず、南関東公営競馬にも波及し大井競馬場の騎手2名が逮捕されている。

事件の影響は極めて大きく、従前から公営ギャンブルを目の敵にし、公営ギャンブル廃止を訴えて有権者の支持を得る左派系の候補者が勢いづいた。中央競馬会では不正防止のため、厩舎区画への出入制限の強化、調整ルームを整備して出走予定騎手と外部の接触を断つ、競馬関係者の予想行為の禁止等の規則を取り入れ、施行した。

八百長に懐疑的な意見[編集]

山岡騎手の証言では1965年3月6日のたちばな賞で八百長を行ったとしているが、同レースのパトロールフィルムを視聴した大川慶次郎虫明亜呂無などが「どこが八百長なのか分からない」と発言。また別の人物も、同レースでわざと負けさせた馬が4番人気であったことに対して懐疑的で、八百長でわざと負けさせるなら1番人気の馬が対象になるはずと八百長について意見を述べている。