尾高惇忠生家
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尾高惇忠生家(おだかあつただせいか)は、埼玉県深谷市下手計の民家建築。内部は非公開で、道路から外観のみ無料で見学できる。
江戸時代後期に尾高惇忠の曽祖父が建てたといわれ、この地方の商家建物の趣を残す貴重な建造物である。2階には尾高惇忠や渋沢栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したと伝わる部屋がある。尾高惇忠は渋沢栄一のいとこであり、学問と商業の師でもある、明治維新後は富岡製糸場の初代場長を務め、渋沢栄一、韮塚直次郎ともに深谷の三大偉人と呼ばれている人物。尾高惇忠の妹のうち千代は渋沢栄一の妻となり、ゆうは富岡製糸場伝習工女第1号となった。渋沢栄一が少年の頃、生家からこの家まで、論語を勉強する際に通っていたことから、両家の間の1.3キロメートルの道は論語の道と呼ばれている。
アクセス[編集]
- JR高崎線の深谷駅からコミュニティバスくるりんの深谷北コース西循環に乗り、下手計バス停で下車し徒歩5分。