韮塚直次郎
ナビゲーションに移動
検索に移動
韮塚 直次郎(にらづか なおじろう、文政6年 - 明治31年)は、富岡製糸場建設に貢献した人物。渋沢栄一、尾高惇忠ともに深谷の三大偉人と呼ばれている。
尾高惇忠宅で働いていた搾油工の久保田熊次郎と住み込みの家事使用人銀との間に生まれ、7歳までを尾高家の離れで過ごしたのち韮塚仙之助の養子となる。尾高惇忠が関わった農業用水の取水口変更騒動で、尾高惇忠とともに事態解決へ奔走した。富岡製糸場建設にあたり、建設責任者となった尾高惇忠から建築資材の調達を任されると単身、富岡に移住し笹森稲荷神社(現甘楽町福島)付近の畑から煉瓦に適した粘土を発見して焼成窯を設け、煉瓦製造などの任務にあたった。操業が始まると賄方(社員食堂の運営)を担当した。