富山事件
富山事件(とみやまじけん)は、1974年に東京都で起きた革マル派の一人が殺害された殺人事件である。
概要[編集]
1974年10月3日午後1時過ぎ、東京都品川区東大井で、中核派が革マル派を襲撃する事件が発生。中核派と推測された4人は革マル派に所属していた1人を路上で待ち伏せた。中核派の3人が革マル派の1人を鉄パイプなどで全身を殴打して、中核派の1人は周囲を警戒しながら見張り、逃走を指示。4人の中核派は逃走し、革マル派被害者は、病院に運ばれるも頭部などに傷をおっていて死亡。殺人事件として、捜査が開始されることになる。
現場には凶器の鉄パイプや、犯人のものと思われるヘルメットは残っていたものの、指紋等は発見されなかった。その後、事件現場にいた目撃者に話を聞いたところ、写真のTが犯人の指示役に似ていると証言。1975年1月13日、Tは凶器準備集合罪および殺人罪で、指揮をしていた疑いで逮捕されて起訴された。
裁判経過[編集]
裁判では、無罪を主張する弁護側と、有罪を主張する検察側が主に目撃証言の信用性を中心に争われた。
- 検察側
- アリバイを証明する証言に乏しく、アリバイは成立しない。
- 目撃証言は、正確に述べられており、信用できる。
- 弁護側
- 事件当時は、前進社ビルを出た後に山の手線とタクシーで、荏原文化センターに行っていたため、アリバイが成立する。
- 目撃証言は写真を通してのもので、変異も激しく信用できない。
1981年3月5日、一審東京地裁は、無罪判決を言い渡した。判決では、裁判での目撃証言について、供述の変異が激しいとして信用性を否定。Tの主張していたアリバイについても、立証がなされているとして認めた。この判決に対して検察側は控訴した。
1985年6月26日、東京高裁(萩原太郎裁判長)は、一審の東京地裁の無罪判決を破棄。逆転有罪判決で懲役10年を言い渡した。判決では、一審判決が事件から写真割りでTと一致したとした後に供述の変異が激しいとして、信用できないとしていた目撃証言の信用性を認定。アリバイについても、荏原文化センターに行ったことは確かだが、経路については仲間以外の証言がなく、犯行を起こした後で行った可能性があると指摘して、成立しない可能性があるとした。この判決に対して弁護側は、上告した。
1987年11月10日、最高裁は被告の上告を棄却。懲役10年とした二審判決が確定した。
Tは1995年12月19日に満期で出獄している。
再審請求[編集]
1994年6月20日に、弁護団は再審請求書を提出した。心理学的知見からの供述分析等を新証拠として提出している。また、約40人の目撃者を取り調べたはずなのに、7人の目撃者の調書しか公判で開示されておらず、34人分の目撃調書が公開されていないとして、検察側に証拠の開示を求めた。
2004年3月30日に、東京高裁三刑事部(中川武隆裁判長)は再審請求棄却を決定。この決定に、弁護側は異議を申し立てた。
異議審は、東京高裁第4刑事部(門野博裁判長)で審議が行われ、2010年1月21日に検察側に対して公判未提出証拠を開示するよう勧告がされた。2010年6月21日、逮捕当時の写真、被告の写真を見た目撃者の供述調書、写真面割りや面通しに関する捜査報告書などの証拠60点が開示された。また、新たに2011年3月に8点の調書が開示されている。
その他[編集]
有罪判決後、『無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会』が結成されて、再審無罪を目指して活動している。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 2013年1月21日 - 革命的共産主義者同盟全国委員会の機関紙 週刊『前進』06頁(2568号6面2)